Thoughts and Notes from CA

アメリカ東海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『これからの「正義」の話をしよう』 自分は何者なのか

名著と思うし、勉強にもなるし、人に勧めたいとも思うが、それを評する自分の能力への不安から、書評を書くことを躊躇する本がたまにある。『これからの「正義」の話をしよう』は、私にとってはそんな本だ。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学


著者は、ハーバード大学史上最も人気のある講義”Justice”の教鞭をとるマイケル・サンデル。この講義はメディアで一般公開され、NHKでも『ハーバード白熱教室』というタイトルで放映された(らしい)。本書は、その講義の内容を体系的にまとめ、より一般化したもの。ベンサム、ミル、カント、ロールズアリストテレスといった哲学者の理論が、現代の身近な問題を例にとりながら、わかりやすく解説されており、 哲学という学問ジャンルを敬遠してきた浅学な私のような人間には、非常に勉強になる本。まぁ、わかりやすいとは言っても、所々理解が容易でない部分もあり、電車の中の細切れの時間を使いながら読むには少し骨が折れる。


本書では上述したような哲学者とその思想が紹介されているが、本書は哲学思想史をまとめたものではない。本書の目的は、自分にとっての正義は何かを考え、自分がそう判断するためによってたっている原理原則は何かを理解し、その原理原則を批判的精神をもって見つめ直す機会をえること、と私は考える。サンデルの表現をかりれば「具体的な状況における判断と、そうした判断の土台となる原則の間を行ったり来たりする」ことを通して、「自分が何を考え、またなぜそう考えるのかを見極める」と表現できる。


それら一連の行為を進めるために、サンデルは様々な現代的な課題を問いかける。彼の提示する課題は、市場経済の是非、妊娠中絶や代理出産の是非、ビルゲイツやマイケルジョーダンへの適正な課税方法、徴兵制のあり方、クマのプーさんなど、若干アメリカンながらも特別な前提知識を必要としない、現在我々の目の前にある問題が多い。この課題設定の妙が、人気の理由であると共に、本書の価値の一つだろう。


そして、単に課題を問うだけでなく、サンデルは先人達の思想を思考の補助線として提示してくれる。正義とは何かを考える上で、サンデルは3つの思想を提示する。
1つ目は、功利主義(Utilitarianism)。これは世界の幸福を最大にすることをもって正義とする考え方。富や利益を最大にすることを目的とした経済や経営を勉強してきた私には、この考えはしっくりくる。
2つ目は、自由至上主義(Libertarianism)。個人の自由や権利を尊重することをもって正義とする考え方。自由や権利についての考え方は思想によって様々であるが、例えば、「大きな政府」のような多くの規制や法律で自由な経済活動を制限することを、自由至上主義では正義と考えない。
3つ目は、共同体主義(Communitarianism)。美徳や道徳を重んじることをもって正義とする考え方。日本人は、特定の宗教を信仰して、善悪をその教義に求めるということはせず、自分の心の中の道徳感と照らし合わせて善悪を判断するのが普通のため、アメリカ人以上に馴染みが深い。


サンデルは、 共同体主義(Communitarianism)であることを認めるが、決してそれに過度に肩入れすることはなく、共同体主義も含めてそれぞれの思想の利点と限界を提示し、読者にとっての正義は何かを徹底的に問う。その過程で読者は、特定の現代の課題について、今まで以上の広範な視点でとらえることができるようになる。日本語の副題は「いまを生き延びるための哲学」とあるが、「いまを生きるための哲学」というほうが私にはしっくりくる。


ちなみに、講義の内容はiTunes Universityで無料公開されており、何とも太っ腹な話である。提示した課題に対して「What’s the right things to do?」と熱っぽく語りかけたり、自分の原理原則に矛盾の生じた学生に対して「What became of your principles?」と問いかけたり教室の熱気がスクリーンを通して伝わってきてこちらも非常に楽しめる(せめてキャプションがあるともう少し楽しめるのだが・・・)。こういったコンテンツが無料でどこでも学べるという現実を見ると、英語圏の学びの機会の充実ぶりに焦りのようなものすら感じてしまう。


少し話がそれたが、冒頭でも触れた本書の目的に戻る。「自分が何を考え、何故そう考えるのかを見極める」、ということは、「自分は何者なのか」というキャリアや人生を考えるおなじみにテーマに換言することができる。私自身も、本書で紹介される様々な思想にふれることにより、今まで自分の前提としていた考え方の再考をせまられるということが何点もあった。そういう意味で、変な自己啓発本やキャリア本を読むより、直接的ではないものの「自分は何者であるのか」を考える上で、役にたつことが本書には沢山書いてある。哲学という切り口で自分の信条、物事を考える上での原理原則をとらえたことのない人にはお勧めの一冊なので、是非手にとって頂きたい。

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