Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

「gifts(持って生まれたもの)」と「choices(自ら選択したもの)」

“The power of Words“ 経由で知ったジェフ・ベゾスプリンストン大学での卒業式のスピーチがなかなか面白い。プリンストン大学というと2009年の世界大学ランキングでスタンフォードマサチューセッツをおさえ、堂々の8位にランクされる俊英揃い(なお、日本の大学で最高ランキングは東京大学の22位)。その秀才達を前にベゾスは「賢いなんてことは、持って生まれたモノなんだから、それ自体はどうってことない、その賢さという天賦の才を活かしてどんな選択をするか、それこそが大事なことだ」と言ってのける。

What I want to talk to you about today is the difference between gifts and choices. Cleverness is a gift, kindness is a choice. Gifts are easy -- they're given after all. Choices can be hard. You can seduce yourself with your gifts if you're not careful, and if you do, it'll probably be to the detriment of your choices.…
How will you use these gifts? And will you take pride in your gifts or pride in your choices?
今日は、「gifts(持って生まれたもの)」と「choices(自ら選択したもの)」の違いについて、皆さんに話したいと思います。賢さというのは「gifts(持って生まれたもの)」であり、優しさというのは「choices(自ら選択したもの)」です。「gifts」は単に与えられるものなので、どうってことないんです。ただ、「choices」のほうは、非常に難しい。注意を怠れば、人は自分の「gifts」に不用心に身を委ねてしまうもので、そうすることで、誤った「choice」をしてしまうのです。・・・<中略>
あなたは自分に与えられた「gifts」をどのように使いますか?あなたは、生まれもった才能に誇りを持ちますか、それとも自らの選択に誇りを持ちますか?


まぁ、Clevernessが単なる「gifts」とは私は思わないが、ポイントはそこにあるわけではない。ベゾスの真意は、プリンストン大学に入っている時点で何事かをなすに十分な賢さを皆兼ね備えているのだろうが、「賢いだけの奴」なんて世の中には溢れかえるようにいて、その中で何事かをなす人間とそうでない人間をわけるのは、「その中でもさらにどれだけ賢いか」ではなく、「その賢さを活かして何を選択するか」なんだ、ということだと思う。「賢い?それで?」という突き放し方が、ベゾスっぽくてかっこいい。


ベゾスのこの指摘に触れ、改めてCleverってどういう意味なのかを確認してみた。

able to learn and understand things quickly
able to use your intelligence to get what you want, especially in a slightly dishonest way
skillful at doing a particular thing
物事を迅速に学び理解する
自分が欲しいモノをえるために知性を活用することができる、特にあまり誠実でないやり方で
特定のコトをする能力を備えている

英英辞典などを見てみると、SmartやIntelligentとは違って必ずしも良い意味ではないことがわかって面白い。私は外資系企業が長いので、Cleverなだけのアメリカ人を沢山みてきた。頭は切れるし、交渉力は滅法強いし、専門知識はあり、まさにCleverなんだが、考えにあまり深みがなく、臆面もなく「一番大事なものはカネ」なんて言ってのけたりして、あまり人間として惹かれないという奴は結構多い。きっと、プリンストン大学卒業生にもそういう人は多いと思うんだが、ベゾスはそれを見越して、「gifts(持って生まれたもの)」と「choices(自ら選択したもの)」の話をしているんだろう。


また、締めの言葉がふるってる。

I will hazard a prediction. When you are 80 years old, and in a quiet moment of reflection narrating for only yourself the most personal version of your life story, the telling that will be most compact and meaningful will be the series of choices you have made. In the end, we are our choices. Build yourself a great story. Thank you and good luck!
ちょっと、未来に想いを馳せてみましょう。あなたは80歳で、人生を静かに振り返り、自分自身の人生の物語を頭に思い描いているとします。そのあなたの物語をもっとも簡潔、かつ意味深いものにするための最も良い方法は、あなたがどのような「choices」を今までしてきたか、それを語ることだと思います。結局のところ、私たちの現在の姿は、私たちの様々な「choices」の結果なのです。どうぞ、素晴らしい人生の物語を紡ぎだしてください。幸運を祈ります。

この締めの言葉をみて、ある方から同じようなことを言われたことを思い出した。
今の会社に転職しようかどうか迷っている時に、仕事でお世話になり、折にふれアドバイスを頂くある会社の社長に相談をしたところ、「うちのほうが面白いから、うちにきたらどうだ!」と誘っていただいた。だが、最終的には今の会社に転職することを選択し、電話とメールでお詫びをすると、送ったメールに対して返信を頂いた。「おれの誘いを断りやがって!」という怒りのメールだったらやだなぁ、とおそるおそるメールを開いてみて、書いてあったのが下記の言葉。

当たり前のことですが自分の納得いく方法で頑張ってください。
ひとつひとつの決断と選択が自分の人生を進めていくのですから。
Good Luck!

色々言いたいこともあるけれども、私が選択を自らしたのであれば、温かい応援の言葉を送るのみという心配りに、とても感動したことが思い出される。


今の会社への転職は自分にとっては、重要な「choices」だったし、それが間違っていなかったことに自信をもっている。ただ、最近自分の人生を押し進めるような「choices」をしているか、そういう「choices」をする機会に十分注意をはらっているか、単に日々に流されて生活していないだろうかと、思い返すに反省するところが大きい。
In the end, we are our choices. Build yourself a great story.
"良い言葉"だ、よい「choices」を重ねるべく努力を続けたい。

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