Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

むしろ「バザールモデル」という言葉を使わない方がよいのでは?

梅田さんが「バザールモデル」のことを「オープンソース的」という言葉を使って説明しておりけしからん、という意見を最近ところどころで目にする。確かに、「情報をオープンにし、不特定多数の人間を開発に巻き込み、頻繁にリリースを重ねて改善点をどんどん見つけていく」という開発方式を、エリック・レイモンドは「オープンソースモデル」ではなく、「バザールモデル」と名付けた。また、「オープンソース・ソフトウェア」というのは「開発・参加の自由、改変・再配布の自由がライセンスで保証されているソフトウェア」*1のことであり、開発方式のことではないというのも確かに正しい。
ただ上記2点というのは知識として持っておいたほうが良い正確な理解ではあるが、その正確な理解と合致しないから「バザールモデル」のことを「オープンソース的」というのは誤りだ、という考えには強い違和感を覚える。なんというか、スポーツドリンク全般のことを「ポカリ」と言って、「大塚製薬が販売していないものもポカリというのは誤りだ」というかのような大人気なさを感じる*2
「プロジェクトへの参加を自由にし、情報をオープンにし、不特定多数の人間を巻き込む」というアプローチを「オープンソース的」、「オープンソース型」ということは既に市民権をえている感があり、「バザールモデル」という「伽藍とバザール」を知っている人しかしらない言葉にこだわる理由がよくわからない
「バザールモデル」をとっていない「オープンソース・ソフトウェア」、「バザールモデル」をとっているが「オープンソースではないソフトウェア」というものももちろんあるだろうが、「バザールモデル」が「オープンソース的」と言われることによる、そこに関わる人への実害も今ひとつ見えない。
もっと言えば、“広がるオープンソース型の取り組み エストニアのごみ収集プロジェクト”というエントリーで紹介したMichael Tiemannの“Trash Talk“というエントリーで、下記のような記載がある*3

実際にオープンソースをどれだけ使用したかという話より、オープンソースモデルの原理が、今までのやり方では解決が実質的に不可能な問題を如何に解決したかという話のほうがはるかに興味深い。
the story of the actual open source software used is far less important and far less interesting than the story of how much the principles of the open source model were brought to bear in solving a problem that seemed virtually hopeless using conventional means.

文脈的に明らかに、Michael Tiemannも「バザールモデル」のことを「オープンソースモデル」と言っている。「”The Open Source Definition”に合致しているものがオープンソースだ!」とか、「OSIに認定されてオープンソース・ライセンスが適用されたソフトウェアがオープンソースだ!」とか、こだわっている人がいるが、OSIの会長であるMichael Tiemannが、「バザールモデル」なんて言葉を使っていないんだから、むしろ「オープンソース的」という言葉の方があるべき使い方なんではないだろうか

*1:まぁ、もっと厳密な定義もあるが

*2:余談だが、私の3歳の娘はスポーツドリンクを「ダカラ」と呼んでおり、ジェネレーションギャップを感じる

*3:ちなみに、私もちゃっかり「オープンソース型」という言葉を使用している

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