Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

『クラウド化する世界』 進歩を実現するための強さを秘めた信念

Nick Carrの新著の邦訳『クラウド化する世界』を読んだので書評を。

クラウド化する世界

クラウド化する世界

本ブログの読者であれば説明不要と思うが、Nick Carrと言えば、IT業界の動向を鋭い舌鋒で切り刻む論客。手放しにWeb 2.0などの動向を礼賛する人が多い中で、最新の事象に対するきちんとした理解と健全な懐疑精神でもって辛口な論評を繰り広げ、同質な意見が蔓延しがちなBlogsphereのバランスをとっているお方。
そのCarrの新著『クラウド化する世界』は、"一つの機械(One Machine)"と"雲の中に住む(Livng in the Cloud)"の二部構成。
第一部では、

  • 電気が中央発電所からサービスとして提供されるようになってから、経済と人々の生活に大きな変化をもたらしたように、ITも今後はユーティリティからサービスとして提供されるようになり、ここ十数年でおきたよりも、より本質的な変化を我々にもたらす

というようにユーティリティ・コンピューティングの時代が到来することは不可避であるとのおなじみの持論を展開し、第二部では、

  • 富の分配構造、個人と社会との関わり方、社会の統治機構、コンピュータと人間の関わり方などのテーマについて、現在進行形でどのような変化が生じているのか、それらの変化は長い目でみるどのような本質的な変化をもたらしうるのか、で結局のところ我々は何を得て、何を失うのか

という点について丹念に論評している。


本書の中では自身のブログで「オラクルは巨大なゴキブリ」と言い放ったような舌鋒の鋭さは影を潜め、最新のインターネット周りの動向を、アカデミックな香りを漂わせながら、きちんとしたバランス感覚の下、語っており、本質的な変化の過渡期にいる我々の現在の立ち位置を示してくれる良書と言える。
RSSリーダーなどで、最新の情報を常に収集している人にとっては、ぱっと見の目新しい話題はないかもしれない。だが、1冊の本というボリュームが与えられることにより、Nick Carrのオンライン上のどの記事よりも議論に深みと広がりがでているのは事実。日々RSSで配信される溢れかえる情報に若干の食傷感を覚え、バズワードのちりばめられた情報を拾い読みしながら、実は自分はわかった気になっているだけではないか」とか、「新しい情報を集めるためにインターネット上を飛び回る足を休めて、時として最新の動向について正座をして考えることも重要なのではないか」とか、というような問題意識をもたれている方には、本書はおすすめ。本屋には同種のトピックをあつかった本が溢れているが、本書は今の時点で正座して対峙すべき数少ない本だと思う。


もう少し内容に踏み込んでみる。
第一部"一つの機械(One Machine)"も、現在ホットトピックのユーティリティ・コンピューティングが実際の統計データなども交えながら語られており、かなり読み応えがあり面白いが、第二部"雲の中に住む(Livng in the Cloud)"のほうが、Nick Carrの本当の「らしさ」がでており、私には面白かった。
特に、第8章の『大いなるバラ売り(The Great Unbundling)』は秀逸。
ネットワークを介し世界中の人と容易につながり、創造的な活動を一緒にすることが可能になったことによって、より豊かな文化が生み出されるという、ありがちな見方に対し、クリック1つで人とつながりあえる容易さが、同質な人間同士が集まるという人間の特性を助長し、他と交わらない孤立した集団が乱立し、多様な人間との交わりとそれによる文化の形成を「かえって阻害する」危険性が指摘されている。そして、この章は下記のように締めくくられている。

クリックがもたらす結果が明らかになるまでには長い時間がかかるだろう。しかし、インターネット楽観主義者が抱きがちな希望的観測、すなわち「ウェブはより豊かな文化を創造し、人々の調和と相互理解を促進するだろう」という考えを懐疑的に扱わなければならないのは明らかだ。文化的不毛と社会的に分裂もまた、等しくあり得る結果なのだ。
クラウド化する世界』 〜第8章 大いなるバラ売り P.199〜

「等しくあり得る結果」という表現を使っているあたりにNick Carrのバランス感覚を感じる。彼は、インターネット楽観主義者に対しては非常に厳しく、容赦ない、一方でその可能性を一方的に否定する単なる悲観論者でもない。本書を読むと、楽観的な結果も悲観的な結果も「等しくあり得る」状態で、手放しな楽観主義を貫いても「より望ましい結果」をえることはできないというNick Carrの「よりよい未来を作るための建設的な批判精神」を強く感じる。

「やみくもに進歩を信じることは、強さを秘めた信念ではなく、黙認に通じ、それゆえ弱さにも通じる考え方である」。これから本書で述べるように、我々の人工頭脳の草原(サイバネティックメドー)は、新しいエデンの園の域には達していないと信じるに足る理由が、確かに存在するのである。
クラウド化する世界』 〜第6章ワールドワイドコンピュータ P.150〜

新しいテクノロジーの正の可能性を手放しに褒め称えることは、人間の「弱さ」であるとNick Carrは釘を刺す。進歩を信じながらも、目をつぶりたくなるような問題に対しても、きちんと対峙すること、それが「進歩を実現する強さを秘めた信念」であり、「新しいエデンの園の域」に達するにはそういう強い信念が必要である、というのがNick Carrが本書を通して伝えたかったメッセージなのではないだろうか。

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