Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

官僚の無能力化と既得権益への固執という負の連鎖

さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白

さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白

『さらば財務省!官僚すべてを敵にした男の告白』を読んだ。タイトルは週刊誌の見出しのようで若干軽薄であるが、内容は日本の官僚制度が如何に制度疲労を起こしているかについて、事実を交えながら赤裸々ながらも、きちんと論理と筋を通して語られており、その世界に引き込まれてしまった。
筆者は、小泉政権安倍政権の下、郵政民営化、政策金融改革、公務員制度改革などの数多くの改革政策を知恵袋として立案するにとどまらず、反対勢力の矢面にたちながら泥臭く施策を実現していった元大蔵官僚の高橋洋一氏。大勢に流されず、事実を重視し、自らが腹の底から納得したものだけを信じるという筆者の信念と、それを徹底する姿勢からは学ぶものが多い。

霞ヶ関を変革してやろうという大それた野望や志があったわけではない。ただ、ロジカルに組み立てていくと、今の大きな政府では、日本経済も財政ももたないという結論にたっしただけだった。それが、結果として、大きな政府を支持する人たちとの対立を招いたのだと思っている。
『さらば財務省!』 〜序章 安倍総理辞任の真相 P.23〜

と、筆者はこともなげに言ってのける。事実と論理に勝るものはないというのは、一つの真理ではあるが、日本の構造改革という大きなテーマを前にして、それを貫ける能力を持つ人間は間違いなく稀有であろう。

官僚たちは、霞ヶ関で生きるためだけに組織の意向に従い、いってみれば思考停止状態をずっと続けるわけで、仮りに大学生の頃は優秀であったとしても、その後は一歩たりとも成長せず、逆に劣化しながら年月を重ねることになる。しかも、霞ヶ関の大多数は東大法学部卒の同質集団なので、異なる価値観が入り込む余地がない。
有能な人間を無能にしてしまうーこれが現在の官僚システムなのだともいえる。
『さらば財務省!』 〜まえがき 日本一の頭脳集団の本当の実力 P.3〜

筆者は、「日本一の頭脳集団の本当の実力」という刺激的なタイトルのまえがきで、官僚は「大学卒業時から思考を停止させ、劣化の一途をたどる無能な同質集団」ときって捨てる。ここまで言うのは、改革の最中に個人攻撃や誹謗中傷を受けた筆者の官僚に対する怨み節ととれなくもないし、3ページ目にしてのこのエンジン全開っぷりに私も少し戸惑った。しかし、本書を全て読めば、筆者がここまで言うのは単なる怨み節によるものではないことがよくわかる。では、筆者は何を言いたいのか。それは、官僚が蛸壷の中で無能になってゆく仕組が確立されている現状と無能であるが故に自己防衛のために権力に固執するという人間の特質が最悪の形で組み合わさっているのが、今の官僚制度の現実であり、その制度疲労・悪循環をたちきらなければ、文字どおり日本は沈没してしまうという危機意識である。

税そのものを地方に移譲し、地方分権と税源移譲で地方のパイを大きくして、格差に対応するほうが簡単だし、まともな政策である。
これができないのは、既得権益を手放したくない中央省庁が反対しているからだ。なかでも予算配分権を握り、予算の差配こそが自分たちの権力と考える財務省は、地方への税源移譲に頑強に反対している
『さらば財務省!』 〜第四章 小泉政権の舞台裏 P.170〜

何故、財務省の官僚は予算配分権にこだわるのか。それは予算配分権を手放した後の社会における自己の役割を規定する能力がないからだ。また、予算配分権を手放すことにより仮に自分の居場所が財務省になくなったら、その後の自分のキャリアを描く能力がないからだ。
実力至上主義の外資系企業において、本当に仕事のできる人は、良い仕事をする人は「この会社で自分が求められないなら、また自分の最適な居場所がないのであれば、自分が求められる、また自分に最適な他の場所を探せば良い」というある種の割り切りができている。一方で、自分に移譲された権限に固執をする人は、その権限がはがれた後に何も残らない人である。

政権の中枢で仕事をしていたとき、私は霞ヶ関やメディアから誹謗されたけれど、外野の声は気にならなかった。私は自分自身を裏切ったことはなかったし、自分の評価は政策の行方で決まると思っていたからだ。
私の風評はどうであれ、この六年半の間に多くの政策が実現した。コンテンツ・クリエータ冥利につきる六年半だった。
心残りはないー。
『さらば財務省!』 〜終章 改革はやめた日本はどうなる P.282〜

自分自身を裏切っている財務省の官僚に筆者の上記の言葉はどのようにうつるのだろうか。一人のキャリアに真剣に向き合う者として、官僚の無能力化と既得権益への固執という負の連鎖が一時も早くたちきられることを期待する。

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