- 作者: 池田信夫
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2007/06/21
- メディア: 単行本
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- メディア・通信・IT産業において、エスタブリッシュメントが既得権益をどのように囲い込み、その結果として社会が発展することをどのように構造的に阻害しているのか
インターネットの可能性を信じる若い世代に対して明るいオプティミズムを提唱する『ウェブ進化論』の読後に感じた爽やかな気分に対して、『ウェブは資本主義を超える』の読後には爽やかとは遠い閉塞感をまず覚えた。これは、本書の中で赤裸々かつ説得力を持って、既得権益保護のためにイノベーションを阻害しているエスタブリッシュメントが日本に蔓延している様が、これでもかこれでもかとばかりに語られるからだろう。この既得権益保護が民間企業の中に閉じた話であればまだよいのだが、政治家や官僚ぐるみのケースが殆どで、それがいかんともしがたい閉塞感を助長する。
例えば、「低俗番組の経済学」とうたって、テレビ局の競争が如何に利権確保のために政治ぐるみで制限されてきたのかが下記の通り記載されている。
「民放の番組は低俗だ」とか「視聴率至上主義だ」などと道徳的に非難するのは的外れである。民法の社員は学歴は高く、ああいう番組をつくりたくてつくっているわけではない。問題は、それ以外に選択肢がないことである。地上はテレビ局は、系列の新聞社とともに強力な政治力を使って新規参入を排除してきた。1970年代に現在のキー局と地方局の系列化が完成してから参入したのは、衛星放送のWOWOWと、MXテレビなどごくわずかの独立系UHF局だけだった。このように競争を制限してきた結果、日本の民法はメディアとしての成長が止まってしまったのである。
『ウェブは資本主義を超える』 〜マスメディアの終焉 P.73〜
NHKで番組を制作していたという筆者の経歴が、一層の説得力を持たせる。
私に限って言えば、健全な競争原理に基づき、己の能力・努力が結果を左右する環境下では、成功に向けての力が湧いてくるが、利権確保のために政治家・官僚が競争原理を歪めている状況を執拗に提示されるとげんなりしてしまう。「池田さんも『ウェブは資本主義を超える』という前向きなタイトルをつけたなら、もう少し「手の届く感のある明るい未来」を提示すればよいのに・・・」と読後に感じたのだが、池田さんのブログの下記のくだりを読んで、本書で提示されているのは池田さんにとっての「手の届く感のある明るい未来」なんだということがわかった。
私がいつもブログの読者として思い浮かべているのは、霞ヶ関で夜遅くまでくだらないペーパーワークをこなしながら、日本はこれでいいのだろうかと疑問をもち、改革の方向をさぐっている若い官僚だ。そういう人に少しでも私のメッセージが届けばうれしい。
そう、本書のメインのターゲット層は若い官僚なのだ。結局、上記の私の感じた閉塞感をやぶるには、民間サイドの努力だけでは如何ともしがたく、「日本はこれでいいのだろうかと疑問をもち、改革の方向をさぐっている若い官僚」の多大な貢献が必要不可欠であり、池田さんはそれを痛いほどわかっているから、若い官僚にむけて「こんな状況を変えることが君たちの役割なんだ」と叱咤激励をしているのだろう。
『ウェブ進化論』は若い起業家に明るいオプティミズムを提唱し奮い立たせる効果があったが、『ウェブは資本主義を超える』は若い官僚に旺盛な現状への批判精神を提示し奮い立たせる効果を持つだろう(また、持つことを大いに期待したい)。そういう意味で、本書は「若い官僚」に声を届かせることのできる数少ない人間による、池田さんの世直し活動の一環なんだと強く感じた。