Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

「事前調整への執着」からの解放とそれに求められる「地力」

「根回し」、「予定調和」、「落とし所を探る」、私のキャリアにおいてある時点まで、それらのことは足りない専門性や見識を補うためになくてはならないものであったし、私の特技ですらあった。大勢のステークホルダーが存在するプロジェクトにおいて、あふれ出る専門性や見識ももちろん必要ではあるが、短い期間で合格点のとれる結論をだすためには、卓越した意見調整能力というのも求められるスキルであり、「事前調整」というのはそのための私には欠くことのできない「小技」であった。


とあるプロジェクトで、いつもの如く「事前調整」活動に着手しようとした私に先輩が、

君はもうそんなことをしなくても、あるべき結論にお客様を導くことができるだろう。
オープンな場で、オープンに議論をして、一番お客様にとって良いと思われる提言をする」
それがもうできるはずなのに、どうして「根回し」などに走ろうとするんだ。
自分がキーパーソンと思っている人との「事前調整」を尽くした上で導いた結論など、
所詮はその中の話に過ぎず、本当の意味でのプロジェクトの結論にはなりえないぞ。

という言葉を投げかけた。もちろん、その先輩は評論するだけではなく、そのプロジェクトにおいて「オープンな場で、オープンに議論をし、その過程で紡ぎだされた最善の結論を出す」というアプローチの有効性を自ら実証してくれた。
その先輩の言葉に後押しされ、「事前調整」から卒業をし、「オープンな場で、オープンに議論をし、その過程で紡ぎだされた最善の結論を出す」という手法にチャレンジをして、「あぁ、自分はどうしてこんな簡単なことから今まで逃げていたんだろう・・・」とショックを受けるとともに、一皮向けた心地よさを覚えたのは今でもよくおぼえている。

材料と結論を比較することによって、編集作業の内容も自動的に誰でも見えることになる。その編集作業の内容と、そこから見えてくる専門性と見識は、これまでより厳しく評価されることになる。
・・・<中略>「世論」の形成は、事前調整でなく、多くの人が自由に参加できる議論の場を設けた上で、このような事後の編集、「包括的妥協競争」*1によって行なわれるべきであると思う。

id:essaさんが「官僚のやらせタウンミーティング」や「オーマイニュースのコメント欄に書き込めるオピニオン会員制度を廃止と市民記者への一本化」をして、「事前調整への執着」と論じておられるが、いつもながら的確にとらえられているなぁと感心してしまった。
その一方で自らも通ってきた道が故に、なぜ官僚やオーマイニュースの事務局の方々がそのような方向に走ってしまうのかも、よくわかる。

佐々木さんは、オーマイニュースのコメントシステムに関する議論を丹念に拾いあげて、それを自分の見識でつなぎ合わせて、筋が通った記事としてまとめている。これが、ネット時代のジャーナリストの果たすべき役割だろう。

私の経験上、「事前調整への執着」の呪縛から解き放たれるには、評論家からのコメントや説教よりも、良質な仕事の成果に接することが非常に重要だと思う。
平野日出木さん、本当にそれでいいんですか?(上)
平野日出木さん、本当にそれでいいんですか?(下)
上記の2エントリーは、オープンな場での、オープンな議論に身を投じた佐々木さんの「地力」がびしびしと伝わってくる良エントリーだと思う。この「地力」に接して、「地力」で勝負するのか、スルーしてしまうのか、オーマイニュースの今後の行く末を決めるターニングポイントなんじゃないかと思う。

*1:個人的には事後の編集は別に包括的でなくてもよいし、妥協をしなくても良いと思う。むしろ、沢山の意見をあくまで参考にした上で、自分なりのポジションをとり、それを世に問うことこそが重要なように思う。

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