Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

「バブルの功罪」のうちの「功」のはなし

インターネット・バブル―来るべき反動にどう備えるか

インターネット・バブル―来るべき反動にどう備えるか

いわゆるネット・バブル真っ盛りの時期に、「この熱狂と高株価は明らかにバブルである、株を持っている個人投資家は直ぐに売りなさい」と社会に警鐘をならすために1999年に書かれたのが本書。だが、その内容は、週刊誌に記載されているキワモノ的内幕ドキュメンタリーとは明らかに一線を画する。100名以上の当時のインターネット関係者、VCなどに行ったの取材と100社以上のインターネット関連企業のファンダメンタル分析が執筆のベースとなっており、訳者による下記のコメントもうなづける。

本書は単純なバブル批判書でも、辛気臭い半投機論でも、センセーショナルな加熱株式警告論でもない。
『インターネット・バブル』  〜監訳者あとがき P.351〜


筆者の本書全体につらぬかれる基本的な立ち位置は、「バブル=悪」ではなく、産業革命が巻き起こる時には「バブル=必要」というものであり、そこが非常に興味深い。

こうした投資ブームは、新たな産業ブームの最初の三〜五年にわたって生じるのが普通だが、この時期には資本がかなり無差別にその産業の流入する。上昇局面では、こうした資本の流入によって創造性が急激に発揮され、新市場の発展が加速され、米国はトップの座にとどまりづつける
『インターネット・バブル』  〜1章 P.32〜

新しい産業のネタが生まれる時は、それへの過剰な期待感と、いんちくさいそれを正当化するロジックにより、バブリーなお金がその産業に流れ込むが常である。それによって損失をこうむって破産する投資家がいることは認めつつも、産業革命というようなパラダイムシフトを興すためには、そういう「潤沢な資金」が市場に提供され、その資金を元に沢山の企業が市場に参入して、激しい技術革新競争をすることが必要というのが筆者の主張であり、大きくうなづける。
自動車、PCなど産業がおこる際もアメリカでは同様のバブル現象が発生し、そのバブルの中からその産業におけるリーディングカンパニーが生まれ、アメリカのグローバルな競争力を高めたという歴史的な裏づけもある。

「起業家とは、あえて夢を見て、しかもそれを実現させようと思うくらい馬鹿な人間だ」というものだ。・・・<中略>起業家が如何に正しい行動をとろうとも、物事がうまくいくためにはタイミングと運が必要だ・・・<中略>、起業家はそれでもなお夢を追求できるくらい常識はずれでなければならない
『インターネット・バブル』  〜6章 P.227〜

お金の話ももちろんだが、人の話も重要。投資家だけではなく、起業家もバブルの熱にあてられ、新しい産業が起きる時はその市場に沢山投入される。もちろん、投入された中で勝ち残るのは極々少数で、その少数が決まった後に後ろを振り向けば死屍累々という感じになるのは歴史的に見て明らかではあるが、それでもそこに参入するという常識はずれで有能な人間が市場に投入されることが、産業革命の大きなエンジンとなるというのが筆者の主張であり、同様にうなづける。


要するにバブルの発生により、新しい産業に「カネ」と「ヒト」が沢山投入され、それが産業の勃興を加速するというのが、本書の根底に流れるメッセージであると私は感じた*1。「バブル=悪」ということが頭にあり、直近に発生したインターネット・バブルを題材に産業論を勉強したいという方にはおすすめの一冊。

*1:もちろん、バブル賞賛本でもなく、上記を理解した上で、そういう市場では、「ベンチャーキャピタル投資銀行などの情報をいっぱい持っている人が安く株を仕入れ、高値で個人投資家がつかむ」という仕組ができあがっているため、個人が個別の企業に投資するなんておやめなさい、どうしてもそういう投資がしたい場合は、ハイテク銘柄を専門に投資するファンドに投資なさい」、というのも本書の重要な主張。

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