Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

ありきたりな外資系企業のはなし

"Lazy Suits:外資系で成功する人しない人"というエントリーを読んだ。私もこってりした外資系企業に勤め10年近くになるので、少しCasualなタッチで私の経験にもとづき、ありきたりな"外資系企業のはなし"、今風に言うと"外資系企業1.0"のはなしをしてみたい。

外資系企業では、求める人材は必要とする各部門の責任者が直接面接をして採用していきます。企業側の求める職務が最初から明確であり、そのポジションに的確な人材をその部門の責任者が求めていくのです。そこには、人事部の思惑が介入する余地はほとんどありません。そこが現場主義と呼ばれるゆえんでもありましょう。

最終的に採用を決めるのは当然その部門の責任者。人事部の面接も含め、6〜10回ほど面接が行われるのが通常。人事部の役割は会社の概要、人事制度に関する説明と質疑応答にこたえたり、スキルレベルに応じ給与がいくらぐらいが妥当かなどをアドバイスすることがメインとなる。
経験から言って、面接も重要だが、もっと前段の工程もこれまた重要。より多くの能力の高い方、求める職種にフィットするスキルセットを持つ方に、応募してもらわないといけないのだが、ここを人事任せにしているとなかなかいい人や求めるスキルセットの人が応募してこない。セミナーなどのセッティングは人事部がするが、どんな仕事をしてもらうために、どんなスキルセットの人を求めているかという説明を現場の人間が出向いて具体的に説明しないと市場には意外と伝わらない。そこを怠って、くる人くる人がちんぴらばっかりという痛い目をみたことがある。
要するに面接だけではなく、リクルーティングから候補者の管理まで現場の人間が関与しないとなかなか良い人を採用することはできないということ。
尚、間違えて使えない人をとってしまうと「ありゃ、"中途"というより"中古"だったな」というオヤジギャグの対象となる。

実はこの結果が全てであるという点にこそ日本企業と外資系企業の違いが集約されているといってもよい。外資系企業では、それがまったく評価の対象にならないということではないが、「がんばってみます」「努力したのですが」といった意気込みや過程より、結果が重要視される。途中の細かい説明を省けば、外資系では「がんばらなくてもいいから、結果を出してくれる人物」を求めているということであり、ここが日本企業との様々な違いになっているといえよう。

短い視点で見れば、結果はでなかったが過程はよかったということはもちろんある。ただ、長い視点で見れば過程の質が高い人は必ず結果はついてくる。じゃぁ、結果で管理しようというのが第一にある。
また、結果に対する評価と比較し、過程に対する評価で客観性・公平性を保つことは難しい。結果と比較し、過程の評価は主観的に陥りがちなので、それに応じて報酬にあまりに大きな変動を与えるのは難しいため、どうしても共存共栄型の報酬システムになってしまう。成果に応じて報酬額に大きな差をつけようとすると、結果で評価をすることが適切というのが第二にある。
そして、規律というか、職業倫理というか、「結果がでなかったのは自分の能力が低いから」というある種の割りきりを叩き込まれるのが第三。新人の頃社長との昼食会があって、その時にある同期から「うちの会社は何故他の会社よりも給料が安いのか?」という質問がでた時に、「他より給料が低いのは、他より君達の価値が低いからだ」ときって捨てられていたのを思い出す。そう言えば、新人研修の時の研修担当者も「結果だして下さい」というのが口癖だった。まぁ、この手の割り切りを受け入れられるのは上の人間が相当有能だからということも要素としては大きいが・・・。
尚、結果しかみなくて結果がでないやつは冷徹残忍に切り捨てるかと言ったらそうでもない。あるマネージャーが「年次の評価の際には、結果がどうだ、数字がどうだというより、一番大事なのは結局のところコミュニケーションだ」と言っていたのが印象に残っている。結果がでずに賞与が殆どでない人にこそ、「何故今年は結果がでなかったのか」、「どうすれば来年は結果がだせるのか」、「そのために本人とマネージャーが互いに何をしなければならないのか」について、親身になって懇々と話をして初めて、その人もその年の評価結果が受け入れられるということ。仕組がドライだからこそ、ウェットなコミュニケーションも重要視される。もちろん、毎年反省しかしてない人は会社に残ることはできないが・・・。

必死に勉強し、朝から晩まで働き、骨身を削って成果を出して始めて高いリターンが得られるのです。そこには年功序列をベースとした給与テーブルといったものはありません。とにかく、外資系企業で働いて成功している人たちは「一生懸命」です。勉強にも、仕事にも、そして遊びにも、全力でぶつかるのです。

めいいっぱいジャンプをして届くか届かないかくらいの高い目標に対して、骨身を削って取り組み、高い成果をだせば、高いリターンとして金銭面の報酬だけでなく、高い能力の向上や人のネットワークをえることができる
もしかしたら届かないかもしれない目標に対して寝る間も惜しんで取り組んで、あまりにもきつくて「こりゃぶっ倒れて病院に運ばれたほうがよほど楽だな・・・」という思う瞬間もあるわけだが、そんな時に自分を支えるのは「あぁ、自分の能力がもっと高ければこんなしんどい思いしなくて済むのに・・・」ということ。死にそうになりながら、何とか乗り切れば、そこでえた経験や能力をもとに楽ができるし、苦しい時間を一緒に乗り切った互いに尊敬しあえるような仲間もできる。
吐きそうになるくらい大変で、ノイローゼになりそうなくらい精神的にきつかった仕事がいくつかあったが、そこで一緒に仕事をした人とは何年たっても、会社が変わっても、自然と定期的に飲もうという気になる(まぁ、大体1年に二人くらいは会社をさるので、その壮行会と称して集まることが殆どだが・・・)。
目先のはした金より、能力や仲間をえたことが一番自分にとっては貴重だったと心の底から思う。


ありきたりだが、私の経験からして「外資系企業」というのはそんなところ。使い古された言葉ではあるが、就社でなく、就職するなら、やっぱり「外資系企業」と思う。

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