Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

「Web 2.0的」という言葉

WEB 2.0」は胡散臭いという意見が多いが、本当に胡散臭いのは「WEB 2.0」ではなく「WEB 2.0的」という言葉なのではないかと最近思う。
私の中で「ちょっと待てよ・・・」と懐疑モードにスイッチがはいるタイミングは、大体「このサイトはAJAXを使用しており、なかなかWEB 2.0的で良い」、「日本でもっとWEB 2.0的なサービスを作るべきだ」という「WEB 2.0的 + 肯定文」というPhraseをみる時だ。


何故、「的」という漢字が1つついただけでこんなに胡散臭さくなるのだろう。
「なんとか的」という言葉は、その言葉の持つ意味をぐっと考え込むのを避ける時に良く用いられる思考停止ワードだからということがおおもとの理由ではあると思うが、考えるに思考停止の作用に伴い「WEB 2.0的 + 肯定文」という表現が用いられる殆どのケースで、「WEB 2.0」が手段でなく、目的となってしまっているからのように思う。


例えば、「このサイトはAJAXを使用しており、なかなかWEB 2.0的で良い」という言葉をそのままとらえると、「AJAXを使っているから良い」となり、もう一度変換すると「AJAXを使用することが良いことだ」という手段の目的化がおきてしまう。プログラミングの細かな話はよくわからないが、本当に目的とすべきはクライアントアプリケーション並みに使いやすい操作性をもったウェブ・サービスを提供することで、特定のプログラミング技術が使用されているかなど極端な話どうでもよいはずだ。


「日本でもっとWEB 2.0的なサービスを作るべきだ」なんて主張も注意が必要だ。ユーザの立場からしてみれば、1.0だろうが、2.0だろうが、3.0だろうが自分にとって価値のあるサービスかどうかという基準と比較したらどうでもよい話で、サービス提供者が「WEB 2.0的」であることに腐心してもちっともうれしくはない。
リッチな使用感とか、ユーザ参加型とかはあくまで手段。それらを採用することをもって目的を8割がた達成し、「WEB 2.0的サービス」でございますと誇らしげに語っている会社が増えれば増えるほど、「WEB 2.0は単なるバズワードであれは胡散臭い」という主張が真実味をます。


時流にのったキーワードのくくりの中にはいるかどうかよりも、自分の信念に基づいて立ち上げたサービスが後世の人から、「あのサービス、あの会社は1つの時代をつくったよなぁ」と言われることのほうが起業家にとっては大事なはずだし、そういう評価は決して「WEB 2.0的」であることを追求してもついてはこない。


WEB 2.0的」という言葉をみたらそんな懐疑の視点でまずとってかかることは大事だと思う。また、楽といえば楽なので思わず「WEB 2.0的」とついながして書きたくなる時があったら(正直私はある)。そんな時こそ「自分はどういう意味で使おうとしているのだろう?」と問い直すことが必要だろう。

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