最近、"Wisdom of Crowds"、"集合知"という言葉をよく目にするが、大勢の人の意見や行動を集約したらなんでもかんでも"Wisdom of Crowds"といってしまっていいのかと疑問に思うことがある。
例えば下記のエントリー。
これからはWeb2.0だ、集団知だ、というわけで、「みんなの意見」は案外正しいなんて本が売れているようですが、それが成立するのは意見を求める側に十分な思慮がある場合に限られるなぁと思った<中略>・・・
というわけで、アンケートで「集合知」を得たいとするならば、それが誰のためのアンケートなのか、出題側がよく考えないと、変な結果になりかねないということですね。私なら、このアンケートの設問はこうします:RSSリーダで日記を読むときに、RSSリーダ上だけで全文が読めた方がいいですか、それともRSSリーダ上には一部しか掲載せず「続きを読む」をクリックしないと全文が読めない方がいいですか?
「アンケートで「集合知」を得たいとするならば」とあるが、どの問い方をしてもでてくるものは、「アンケートに回答した人のうち、仕様変更に対して、何人が賛成で、何人が反対」という1つの事実にすぎず、それが集団による"優れた知力"、"Wisdom"というほど大げさなものかと疑問に思う。
なので、「アンケートで「集合知」を得たいとするならば」というより、「このアンケートをよりみんなにわかりやすく書くと」というほうが正確だろう。
私にとって"Wisdom of Crowds"、"集合知"をえるというのはもう少し大げさなはなしで
- 1人の人間ではとても解決できないような複雑な問題に対し、
- 集団として解決すべくベクトルを統一し、
- 膨大な問題に関わる情報、解決に向けての英知の総量を武器に高い成果を実現する
というようなイメージを持っている。
そういう視点でみるとはてなの質問は
- RSSリーダーの1つのファンクションの仕様決定という非常に単純な内容であり、
- 解決すべき問題があるというより、異なる主観的な意見の集約であり、、
- 収集された情報や英知も1行におさまる程度で、id:naoyaを圧倒するほどの知でもない
というように見える。
また、以下のエントリーではgooのリアルタイムキーワードランキングが群集の叡智の賜物であるというように書かれている。
gooランキングのリアルタイムキーワードランキングは「検索」という行為を「簡易なネットへの参加」と見立て、それを集約して世間の人々に意味ある情報とするために、「直近3分の世間の興味を数秒毎に更新する」というパッケージで提示しているということです。
今後このような群集の叡智を適切にリパッケージして提示するサービスはいっそう増えていくものと思われます。
"ウェブ検索と群集の叡智"
「リパッケージ」という考え方は面白いし、すごく納得がいくのだが、大勢の人の検索ワードを単純に集約しただけでは「直近3分の世間の興味」にしかならず、叡智というよりもせいぜいトリビアなんじゃないかと思ってしまう。
"Wisdom of Crowds"、"集合知"という言葉を使う際に、スロウィッキーの下記のPhraseを一度思い返すと良いと思う(自戒もこめて・・・)。重要なのは集団として賢い判断を下すことにより、個人ではなしえないなんらかの成果があるかないかなのではないだろうか。
正しい状況下では、集団はきわめて優れた知力を発揮するし、それは往々にして集団の中でいちばん優秀な個人の知力よりも優れている。優れた集団であるためには特別に優秀な個人がリーダーである必要はない。集団のメンバーの大半があまりものを知らなくても合理的でなくても、集団として賢い判断が下せる。
- 作者: ジェームズ・スロウィッキー,小高尚子
- 出版社/メーカー: 角川書店
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『「みんなの意見」は案外正しい』 〜はじめに P.9、10〜