「十年後にこういうふうにならないために、こうありたいと思う世界に少しずつでも近づけていくためには、何が必要なのか。その必要な何かが実現されるためには何をしなければならないのか」
ということが問われるべきなのだ。
本気でそう問いかけてみてはじめて、オプティミズムの意義が理解できるはずだ。
「オプティミズムについて」という短いエントリーを梅田さんが書かれている。『ウェブ進化論』の「あとがき」に書かれているオプティミズムの話をもう少し突っ込み、上記のような新しい金言が紹介されている。
未来のことは誰にもわからない。ただ流れに身をまかせて暮らしていけば、自分の好むと好まざると未来は自然に形作られていく。全員が全員そうではないかもしれないが、そういうスタンスをとれば、自然と「10年後はどんな世の中になるんでしょう?」という質問がでてくるのだろう。
未来のことは誰にもわからない。ただ、自分が思い描いた未来の像があり、それに対する思いや意思がものすごく強ければ、わからないながらも非常に確度の高い未来になるのではないか。目指すべきものがある人は「どうなるか」ではなく、「どうしたいのか」ということが当然先にくる。
自分で未来を形作るのは、流れに身をまかせる生き方と比較して、ものすごく大変なのは言うまでもない。能力があって、思いが強くて、成功する確度が高くたって失敗するケースはごまんとある。また、日本のように終身雇用・年功賃金という流れに身をまかせる制度を何十年もつづけてきた国では、自分の実現したい未来にむけて頑張ることは、「うく」行為であり、「ふ〜ん、頑張るんだね・・・」という冷ややかな視線を浴びせられることは少なくない。
失敗するかもしれないというリスクに自らが立ち向かうために、実現に向けて意思を持ち続けるために、そして何より自信をもって楽しく自分の描く未来の実現に向けて頑張るために、自分の中にも、周囲にも「オプティミズム」はやっぱり必要なんだ、そんなことを「オプティミズムについて」を読んで考えた。
話は少しかわるが映画などのDVDにはメイキング映像やカットされたシーンが含まれている。自分が好きな作品であればあるほど、メイキング映像は楽しいし、時間の関係からカットされた映像を見るのは楽しいものだ。
『ウェブ進化論』の中にも、きっとページの都合からカットされた内容や全体の流れを損ねるためカットされた話やPhraseが沢山あるように思う。
映画のDVDにはそういうおまけクリップがつけられるが、書籍出版にはブログのエントリーとして更新されるというのは、今後の1つの形になるだろう。
ファンとしては、そういう内容がブログに更新されるのは非常に楽しみであり(特に今回のように周囲の反応を受けて書かれたものは特に)、今後もこういうエントリーが更新されるとよいなぁと思う。