- 作者: ジェームズ・スロウィッキー,小高尚子
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2006/01/31
- メディア: 単行本
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正しい状況下では、集団はきわめて優れた知力を発揮するし、それは往々にして集団の中でいちばん優秀な個人の知力よりも優れている。優れた集団であるためには特別に優秀な個人がリーダーである必要はない。集団のメンバーの大半があまりものを知らなくても合理的でなくても、集団として賢い判断が下せる。
『「みんなの意見」は案外正しい』 〜はじめに P.9、10〜
というのがこの本のメインメッセージ。「多様性/独立性/分散性/集約性」という「正しい状況下」の定義や「認知/調整/協調」などのスロウィッキーの考える解決すべき問題については既にいくつかのブログで紹介がされているので、上記以外の本書を読んで私が考えたことを書いてみたい。
ポイントは下記3つ。
- 集団の持つ情報量/視点は、その集団の中の一番優秀な個人の持つ情報量/視点より「必ず」多い
- 個人の持つ情報量/視点だけでは解決できない複雑な問題が今の世の中には多い
- 情報は、消費しても価値がなくならず、むしろ消費すればするほどその価値は増す
まず、1点目。「集団がその中の一番優秀な個人より優れた知力を発揮する」ためには一定の条件を満たさなければならず、いつも集団が個人より優れるというわけではない、ということは本書で強く強調されているが、「集団の持つ情報量/視点は、その集団の中の一番優秀な個人の持つ情報量/視点より「必ず」多い」という点については当たり前すぎるからなのか触れられていない。
具体的には、「ウォーレン・バフェットという個人」は企業の将来的な価値を見抜くという点で「株式市場」という集団より優れた知力を発揮するが、ただ世に存在する企業の状況やそれに対する評価の視点は「株式市場」に参加する集団全体のほうが多く保持するということ。
当たり前といえば当たり前かもしれないが、"Wisdom of Crowds"が機能しやすい問題は何なのかを考える上では、意外とこの当たり前すぎる事実は大事な気がする。
専門家がどんなに情報を豊富に持っていて手法が洗練されていても、それ以外の人の多様な意見も合わせて考えないと、専門家のアドバイスや予想は生かしきれないということだ。
『「みんなの意見」は案外正しい』 〜第2章 P.53〜
という記載が本書の中にあるが、専門家がどんなに優れいていてもある問題を解決する上で必要な知見の5%も保持していなければ、その個人にのみ問題の解決をゆだねることはできない。ひるがえって、優秀な人間の持つ情報と集団の持つ情報のギャップの多いテーマは"Wisdom of Crowds"が機能しやすい領域適用すべき問題ということができる。
次に2点目についてだが、
社会科学者のエティエンヌ・ウェンガーは「今日の複雑な問題を解決するには、複数の視点が必要だ。レオナルド・ダビンチの時代はもう終わったのだ」と言う。
『「みんなの意見」は案外正しい』 〜第8章 P.177〜
という記載が示すとおり、あまりに複雑すぎて、個人の持つ情報、個人が生み出す視点だけではとても解決できない問題が多いというのが現代社会の特徴である。天才と呼ばれる人はもちろん現代社会にも存在し、天才が故の役割を果たすのだろうが、天才と呼ばれる人でも一人で解決できない問題が多い、天才も誰かの肩の上にのらないと大きな成果をあげられない、そういう傾向は時を経るにつれ強くなっている。
梅田さんの『ウェブ進化論』でオープンソースについて、
現代における最も複雑な構築物の一つである大規模なソフトウェアが、こんな不思議な原理に基づいて開発できるものなのだという発見は、インターネットの偉大な可能性を示すと共に、ネット世代の多くの若者たちに、とても大きな自信と全く新しい行動原理をもたらした。
『ウェブ進化論』 〜第一章 P.28〜
というように述べられており、大規模なソフトウェアという「現代における最も複雑な構築物」を作成にさえ、"Wisdom of Crowds"が適用できるのかぁ、と私は思っていたのだが、むしろ「現代における最も複雑な構築物」にこそ、"Wisdom of Crowds"が適用でき、その効果が高く表れるというほうが正しいのだろう。
オルデンバーグは知識というものが持つ独特の特性を深く理解していた。それはほかの資源と違って、消費された枯渇してしまうような類のものではなく、価値を失うことなく広く行き渡らせることができる。むしろ知識は広まれば広まるほど、その価値が増す可能性は高くなる。知識の使い方は幅が広がるからだ。
『「みんなの意見」は案外正しい』 〜第8章 P.182〜
3点目は、上記の記述をサマっただけであるが、"Wisdom of Crowds"を考える上でこういった「知識の特性」を抑えることは非常に大事だと思う。「なだれが起きて道が閉ざされたから除雪車で雪をかく必要がある」とか「被災地に食料が足りないから食料をヘリコプターで輸送する必要がある」という問題に対しても"Phsyical Contribution of Crowds"という形で「集団」が力を発揮しうるが、貢献する人の負担感や集団を集結するための労力を考えると"Wisdom"のほうがはるかに提供しやすく、集めやすく、集結しやすい。「消費しても価値がなくならず、むしろその価値は増す」がゆえに、"Wisdom"は可搬性があり、可搬性があるゆえ"Crowds"としての力を発揮しやすい、そんなロジックが上述したような「知識の特性」を考えるに思い浮かんでくる。
上記のようなことをつらつら考えるに、「何故、今"Wisdom of Crowds"が注目されるのか?」という疑問に対する答えがおぼろげながら浮かんでくる。もちろん情報技術の進歩が集団の叡智を集めることをしやすくしているということもあるが、その他に時が流れるごとに我々の直面する問題は一人の手にはとてもおえないくらい複雑になり、モノが一杯あればとりあえず解決できるという問題の比率が減ってきている、そんな時代背景が"Wisdom of Crowds"という考えに皆の関心を集めるのではないだろうか。
「多様性/独立性/分散性/集約性」を満たす仕組みづくりにいきなり頭をひねるより、"Wisdom of Crowds"が何故いま注目をあびるのか、そんなことをもっと突きつめて考えることこそが、"Wisdom of Crowds"を活用する近道なのではないか、そんな印象を本書を読んで強く感じた。
ちなみに、「事例が多く読み易い」という評価をどこかでみたが、私は読了するのに骨がおれ、全体的に腹にすっとおちずらいという印象を受けた。もちろん、その原因の殆どは私の読解力不足にあるわけだが、読解力不足気味の方のために、これからこの本を読む方のために、どの辺をおさえると読みやすくなるのかは後日紹介したい・・・。