Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

手段は簡単に目的化する

2006年2月6日の日経ビジネスの『日産ゴーン改革に息切れ感』という記事に下記のような記述があった。

最近の販売減も、100万台増を成し遂げた昨年9月までの反動が出たとする関係者は多い。日本では、法規制に対応する車種の仕様変更をわざと後にずらしてまで売り込んだという。
高いコミットメント達成のために無理をする―。最近ではそんな傾向が目につく。実際、同社の北米流通在庫を見ると、決算対策で押し込むためか期末過ぎに大きく膨らむのがわかる。

きわどい表現はさておき、上記を読んで

「手段は簡単に目的化する」という罠は、どんなビジネスでも起こりがちだ。
『30歳からの成長戦略』 〜P.57〜

という『30歳からの成長戦略』のPhraseを思い出した。「顧客から高い評価を勝ち得る魅力的な車を市場に提供する」という目的を達成できているか否かを計る手段として「一定の会計期間における売上目標」を設定しているのだが、「当期に目標として設定している売上高を計上すること」が手段から目的に転じてしまったことが見てとれる。本来の目的から考えればもっとやるべきことがあるはずだが、流通在庫に押し込むという易きに流れてしまう・・・、生身の人間は弱いものだ・・・


一方で、『ルービン回顧録』に下記の記述がある。

・・・<中略>、四半期ごとの収益への関心の高まりは百害あって一利なしとは言わないが、善悪の両面があったことは否めない。・・・<中略>、この問題をマーク・ウィンケルマンと話し合ったことがある。・・・<中略>「アメリカの経済システムの甚だしい欠点は短期的な視野にばかりとらわれていることだ」と私は指摘した

ウィンケルマンは私の考えに同意しなかった。短期重視は企業が問題点を見直すよい機会だととらえていた。理想的な管理職なら、長期的展望さえ持っていれば最適な経営ができるだろう。しかし管理職も生身の人間なので、長期的展望を、問題に取り組まない言い逃れに利用しがちである。・・・<中略>確かに短期的な業績に責任を負う必要がなければ厳しい決定を下さず、長期的な展望をその言い訳に使いがちである。「将来に投資している」というのがその決まり文句だ。
『ルービン回顧録』 〜第十二章 P.439〜441〜

長期的な展望のみを見て、短期的になすべきことを粛々とこなせるほど生身の人間はタフではない。長期的な目的はわかっているものの、お尻に火がつかないとなかなか重い腰は上がらないというのは人の常。短期的な目標をもたなければ、「将来に投資している」という易い言い訳に流れてしまう、やっぱり生身の人間は弱いものだ・・・


以上のことから考えるに、組織を運営する上では、短期的目標を設定するにしてもしないにしても人間とはそういう弱さがあるということを念頭におかなければならないのだろう。短期的な目標設定は良いとか、悪いとかではなく、重要なのは正しい目的に向かって適切に手段が行使され、機能しているかという点だ。

もちろん上記のことは組織運営に限定した話ではなく、自分自身を考えた時にもあてはまることだ。Life is beautifulに下記のような記述があったが、

例えそういう認識を持っていたとしても、人間というものは自分には甘いので、自分で同じことをしていてもなかなか気がつかないものである。そこでこの報道をキッカケに「他人のふりみて我がふり直せ」と自分のことを振り返って見た私であった。人間、「何としてでも結果を残す、言い訳は絶対しない」という意気込みを持って仕事をすると、ものすごく強くなれる。
http://satoshi.blogs.com/life/2005/09/post_1.html

こうやって、わが身をいつも振り返りながら己を律し続けていくしかないなのだろう。

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