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ktdiskのブログ

読んだ本の感想、所々の雑感、日々のあれこれを綴るブログ。

The plausibility of the impossible

梅田さんの『Web 2.0時代を生きる英語嫌いの若い人たちへの英語勉強法』を読んで遅ればせながらKevin Kellyの『We Are the Web』を読んだ。細かな中身も啓発をうける点が多かったが、まず「10年後のことばっかり考えても10年後はわからないよね」というその基本スタンスに強くうなづいた。

Not only did we fail to imagine what the Web would become, we still don't see it today! We are blind to the miracle it has blossomed into. And as a result of ignoring what the Web really is, we are likely to miss what it will grow into over the next 10 years. Any hope of discerning the state of the Web in 2015 requires that we own up to how wrong we were 10 years ago.

次の10年見通すためには、現在の自分の立ち位置はどこなのかをきちんと把握することはもちろんのこと、10年前に現在の立ち位置を見誤ったのは何故か、何を見通すことはできなかったのかをきちんと把握することが重要と指摘がされている。新しい技術や新しい考え方など、とかく膨大な情報にうもれがちであるが、1994年のNetscapeの上場から幕が開いたとされるインターネットの歴史の中で、どの要素が歴史を大きく動かす動力となったのかという歴史観を持った上で、溢れかえる情報を取捨選択し、過去との連続性の中でその情報の意味するところを考えることが重要だと思った。


で、この論考の中で指摘されている過去に見誤ったこととは「インターネットの利用コスト、コンテンツの作成コストの劇的な低減がここまで及ぶとは考えていなかった」に集約されると思われる。

Writing in Electronic Engineering Times in 1995, Jeff Johnson worried: "Ideally, individuals and small businesses would use the information highway to communicate, but it is more likely that the information highway will be controlled by Fortune 500 companies in 10 years." The impact would be more than commercial. "Speech in cyberspace will not be free if we allow big business to control every square inch of the Net," wrote Andrew Shapiro in The Nation in July 1995.

1995年では、インターネットは個人商店、小企業も使用するであろうが、さはさりながらFortune500社による商用での利用が主流であると予想されている上記の記述がそれを端的に示している。次の10年を見通す上で、今のインフラ・技術ががどうかでなく、引き続き「ムーアの法則」が働き続け、劇的なコストの低減が進行続けることを念頭におかなければならない。

It assumes participation, not mere consumption. Our communication infrastructure has taken only the first steps in this great shift from audience to participants, but that is where it will go in the next decade.

そして、この10年間ムーアの法則が働き続けたことによってもたらされたものは、消費者の生産者化であるとし、この流れは今後10年間も続き、誰もが曲を作り、本を書き、ブログを作成するようになると予測する。これは正に梅田さんいうところの「総表現社会」であり、こうやってブログを書きながらここ1〜2年で急速にこの流れは加速するのだろうなぁと実感している。

そして、そんな歴史観の中でKevin Kellyは次の10年は下記のようになると大胆に予想する。

His phrase neatly sums up the destiny of the Web: As the OS for a megacomputer that encompasses the Internet, all its services, all peripheral chips and affiliated devices from scanners to satellites, and the billions of human minds entangled in this global network.

What will most surprise us is how dependent we will be on what the Machine knows - about us and about what we want to know. We already find it easier to Google something a second or third time rather than remember it ourselves. The more we teach this megacomputer, the more it will assume responsibility for our knowing. It will become our memory. Then it will become our identity. In 2015 many people, when divorced from the Machine, won't feel like themselves - as if they'd had a lobotomy.

目の前のPC(それがPCかどうかもわからないが)は、あらゆるサービス、演算装置、デバイス(人工衛星もデバイスの1つ!)が統合された一つの巨大なコンピュータにアクセスするための端末となり、検索・書き込み・リンクのクリックなどの一つ一つのそれに対する我々の活動が記録され、巨大なコンピュータに新しい知性を与え、やがてそれ自体が我々のアイデンティティそのものになる、もっと言えばそれから切り離された人は自分を自分と感じなくなってしまうまでになると。
「検索・書き込み・リンクのクリックなどのWEB上での振る舞いを解析することにより、自らの嗜好が透けて見える」という発想は常々そうだと思っていたが、「それなくしては自我が保てない」というのはすげー大胆だなぁと思う反面、

But if we have learned anything in the past decade, it is the plausibility of the impossible.

というKevin KellyというPhraseを見ると、一旦それを考えとして受け入れてみるという思考実験はしてみるべきなんだろうなぁと思った。

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