Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

自説を曲げない人達(自分も含めて)

30歳になったので『30歳からの成長戦略』を読んだ。いわゆるマニュアル本とは一線を画し、読む途中で啓発されることが多かった。

30歳からの成長戦略 「ほんとうの仕事術」を学ぼう

30歳からの成長戦略 「ほんとうの仕事術」を学ぼう

その中でも、特に印象が強かったのが下記のPhrase。

論理的思考方法にとらわれればとらわれるほど、自説を曲げない傾向が強くなる。事実か論理で間違いを犯したりしていない限り、正解は一つであるということを暗黙の前提にしている思考法だからだ。・・・<中略>たくさんの真理が主観的に存在すると唱えたフッサールの提示した解決策は、異なるたくさんの主観的真理をぶつけ合って「妥当」な線を探しあおうというものだ。「妥当」というのは、同じ目的や目標を持つ者同士が誠心誠意、目的・目標達成のために、お互いが納得できる解決策を探ることを意味するのだと説明している。

「論理的思考方法にとらわれればとらわれるほど、自説を曲げない傾向が強くなる」、うまく言ったものだと思った。まったくもって耳が痛い。

最近仕事で議論がヒートアップして疲れることが多い。熱い議論といえば聞こえはいいが、熱くなっているのは頭だけで、はたから見たらおさむい議論をしていることがままある。終わった後、「あぁ、なんか結論がでないまま時間だけがたってしまった」と後悔の念にかられる場合は、大体互いに自説を曲げず、「自分の理屈のどこに論理的な不整合があるのか?もし不整合がないとしたら自分の導いた結論が正しい!」と頑張る場合である。

「メールで議論がヒートアップする」、昔はそんなことがよくあった(最近はもめそうになったら、直ぐに電話をするので、めったにはないが)。顔を見ながら話していない分、微妙なニュアンスが伝わらずに関係がこじれやすいということもあろうが、これも「自説を曲げない」人達の間でおこりがちなのではないだろうか。顔をつき合わせて話をするのと異なり、「自分の論理の整合性の証明」にたっぷり時間をかけ、相手への迎撃体制と自己防衛体制を入念に整えることができるが故に、直接話していれば方がつくことも、なかなか決着がつかず、不毛なテキストを延々とやりとりしてしまう、大体そんな感じだろう。メールでもめている場合は、徐々に反論が長文になりがちなものである。

時流か、「ブログで議論がヒートアップする」、というのも最近見かける(私はまだヒートアップした経験がないが)。「メールでヒートアップ」と比べ、ヒートの度合いが強く、見るに耐えないものが多い気がする。何故グレードアップしてしまうのかと考えると、下記のような理由が思い浮かぶ。

  • 後腐れない関係であるが故により攻撃的になるから
  • 衆人にさらされての議論が故に、自己防衛本能がより働き、自説が曲げにくくなる
  • 目的や目標を別に共有した関係ではないから

「コミュニケーションスキル」というのは、いつの時代も求められるものであるが、時代に応じて求められるスキル要件も変わるのだろう。ブロギングスパイラルが途切れたり、よれたりしないためには、そもそもきちんとコンテンツを語ることができる能力も大事だが、この時代における基礎的なコミュニケーションスキルがきっとまずありきなのだろう。

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