Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

「何ができますか?」「部長ができます」

中小企業から大企業に諸般の事情から転籍し、たまに感じるもやもやとした私の違和感をid:essaさんがうまく表現されている

誰も食わないラーメンを作っているのに収入が保証されている仕事が世の中には多いなあと私は不思議に思うのだが、身分が明確でないのに収入を得る人間が増えてくることを不思議がっている人も多いようだ。

「身分が明確」という言葉の私の解釈は「係長、課長、部長」などのように「日本的身分」が名刺に書かれているということ。私の勤める会社にも「自社職位と日本的身分のマッピング表」なるものがあり、「名刺の肩書きに何を書いたらよいですか?」と聞いたところ、「あなたの職位なら課長が該当します」と言われ、「課もなけりゃ、長でもないのに課長か・・・」とだいぶもやもやした記憶がよみがえる。一定以上の年齢なのにその手の職位が名刺に記載されていないことに違和感を覚える方は最近は少ないと思うが、マッピング表もそういった風習の名残なのだろう。


大きな組織に属する人からみれば空気を吸うように自然なことかもしれないが、管理職という言葉が含まれた下記のような発言にふれると、私は一瞬固まってしまい、その後に何とも言えぬもやもや感が残る。

  • 彼は次は管理職だから、管理職になるのとあわせて昇進させよう
  • 管理職は部下の人事権を持つ、人事権とは例えば部下を昇進させる権利などである
  • 君は実力もあるし、もう十分に管理職になれるのではないか
  • 管理職の職位が、自分の管理対象の社員より低いことはありえない


このもやもや感の源泉は内部労働市場の尺度と外部労働市場の尺度の違いからくるものだと頭ではわかっているが、未だに慣れない。外部労働市場の尺度で考えると、昇進するかどうかは、本人の市場価値がどれ程高いかに連動し、本人の市場価値の高さは、上司が決めるものでもなければ、管理職になることによってあがるものでもない。だが、内部労働市場はそれと異なり、企業の中に、その企業固有の価値*1を評価する尺度が設けられているため、上司が内部の基準に基づいて部下の能力を評価し、そういう責任と権限を持つ管理職というのが重んじられる。


外部労働市場に定期的に接する機会がないと、内部労働市場の論理にまみれてしまう。「身分が明確でないのに収入を得る人間」がいることに違和感を覚えるのはその典型だろう。私の勤める会社も巨大企業なので、その手の内部の論理に染まりきってしまった人が非常に多い。とある事業部長が思うところあってヘッドハンティング会社にインタビューに行き、「あなたのコンピテンシーは何ですか?あなたの強みは何ですか?」という趣旨の質問をされ、「長年経験しているので、私は部長ができます」と答えたという有名な笑い話がある。


上記の話は労働市場の外部と内部がごっちゃになってしまった極端な例だが、内部労働市場にしか接していないと自分では気をつけているつもりでも、徐々に蝕まれるもの。このエントリーを読んで自分が内向きと思った方は注意されたし(自分も含めだが・・・)。

*1:その企業固有の価値というのは、大企業に勤めたことのない方にはわかりづらいかもしれないが、大企業というのは粗利30%の製品を粗利10%で売るための社内手続きというのがおそろしく煩雑で、その手の社内ルールに精通していないとフットワーク軽く仕事ができないところなのです

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