Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

日本の英語教育考 受動態の怪

娘が先日、日本の中2の模試を受けたところ、英語がまさかの70点代であった。娘は米国在住歴6年で、大学入試センター試験の読解問題は試験時間を半分ほど残し190点以上を取得し、今夏に初めて受けたTOEICも900点台半ばという高得点で、英語は相当できる。元々本が好きなこともあり、米国現地校でもReadingはかなりの好成績で、期末テストの成績は州内のトップ1%に入る程だ(これは勿論州内の日本人の中のランキングではなく、アメリカ人生徒も含めた全体のランキングである)。その娘が試験勉強を殆どしていなかったとは言え、日本の中2のテストで70点台にとどまってしまい、思わず笑ってしまった。体系的な英文法の知識が欠けており、その点については向上の余地があることは確かだ。が、負け惜しみという誹りを恐れずに言えば、やはりこれは出題内容にも問題があると言わざるをえない。

 

なお、点数を大きくおとしたのが、能動態の文章を受動態に書きかえなさい、という問題。例えば、

  • He washes this car.
  • She made the room clean.
  • We can see many stars from here.

などの問題が出題されていた。日本で受験勉強をした私は

  • This car is washed by him.
  • The room was made clean by her.
  • Many stars can be seen from here.

と機械的に書きかえることはできるが、ぶっちゃけどの文章もかなり違和感がある。娘に解答を教え、説明を試みたが「え、、、こんな言い方しないよねぇ」と戸惑いを隠せないようであった。が、日本の受験戦争に勝ち抜くためには、こういうルールのパズルと思って解けるようにならないといけないのだ、と不本意ながら押し切った。

思い返せば、自分が中学生の時、「この車は私によって洗われる」という訳文を見て、「変な言い方だなぁ、でも英語ではこういう風に言うんだぁ」と感じた記憶がかすかにあるが、大人になってみたら、英語でもこんな言い方はしないということが明らかになった。日本語でも英語でも共に奇妙な文を出題する日本の英語教育のその実践力の低さにため息がでる。

 

なお、上記の解答は私が変だと思っているだけで、実はアメリカ人はたまにそういう言い方をするのではないかという微かに覚えた疑念を晴らすために、同僚と友人5名ほどに上記の問題をだしてみた

まず、驚いたのが「このActive(能動態)の文をPassive(受動態)に書きかえられる?」と聞いても、日本の受験英語としては最も基本の型である「He washes this car」すら書きかえられない者すらいたことだ。残念ながら全問不正解した者たちも、アメリカの大学や大学院をきちんと卒業している立派なビジネスパーソンである。

「娘3人を育て、宿題などは私が皆みてあげたのよ」という孫もいる同僚はかろうじて1問目と3問目は「It’s awkward though」を連発しながらも、正答にたどり着くことができたが、2問目は「The room was cleaned by her」と書きかえてしまった。今はどうかわからないが、私が潜り抜けた日本の受験戦争では、この解答では点はとれない。

もっとも、2問目を「The room was made clean by her」と答えることができた者は誰もいなく、受動態への変換に文法的に成功した人全員が「The room was cleaned by her」と答えていたこの解答が正解でないとしたら、日本の英語教育が目指しているものは一体何なんだろうか。

 

もちろん、受動態という英文法を理解することの重要さを否定するわけではない。が、ネイティブが使わないような言い回しを出題する英文法のパズルばかりやるのではなく、どういう時に受動態を使うのか、という実践的な知識も一緒に教えるべきではないだろうか(少なくとも私は教えて欲しかった)。

日本語は主語を省くことが多いため、頭の中の日本語を英語に直すとどうしても行動の主体を省ける受動態のほうが文章が作りやすい。が、はっきりとした主体と主張が求められる英語では、婉曲的でわかりにくい受動態を使うことは好まれず、特にビジネス英語ではきちんとした意図や狙いがないのであれば受動態は使わないことが推奨されている。実は、私も渡米後に上司から「お前の文章は受動態が多くてわかりにくい、最近のMBAでは受動態は使うなと教えられるんだ」と注意されたことがある。

能動態と受動態を互換可能なパズルとして教えるのではなく、「〜された」人が不明であるとか、敢えて隠す必要がある時に受動態を使うとか、「~された」人や物に特に重きをおきたい時に受動態を使うとか、「どういう表現をしたい時に受動態を使うべきなのか」というようなことをあわせて教えてあげて欲しい。

 

今回のことを受けてあらためて古典『日本人の英語』を一部読み返してみたが、これはやはり名著だ。

日本人の英語 (岩波新書)

日本人の英語 (岩波新書)

 

 昨今の中学、高校の先生方が忙しいのはよく分かるが、英語の教師はせめて本書を手にとり、より実践的な内容を中高生に教えてあげてほしい。

『ブロックチェーンの描く未来』 記録と契約のパラダイム・シフト

「あれ、筆者は大学の教授、研究員だったけ?」という錯覚を覚え、筆者の経歴を確認することが読んでいる間に何度かあった。本書『ブロックチェーンの描く未来』に溢れるのは新技術への熱狂といよりアカデミックな探究心だ。

ブロックチェーンの描く未来

ブロックチェーンの描く未来

  • 作者:森川夢佑斗
  • 出版社/メーカー: ベストセラーズ
  • 発売日: 2018/08/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 筆者森川夢佑斗氏は株式会社Gincoを創業し、仮想通貨のウォレットアプリやブロックチェーンについてのコンサルティングサービスを展開している。注目を集める技術を手掛ける企業の創業者がその技術について語る本を書くと、往々にして「何故この技術が今アツいのか」という論調になりがちだが、本書は人類の記録と契約に関わる歴史を振り返りつつ、何故ブロックチェーンが記録や契約のパラダイムを大きく転換させる可能性を秘めているのかについてアカデミズムを漂わせながら語られている。

 

「文字を用いた厳密な記録の作成は、一部の特権的な専門技術者によって行われる」「記録はそれを保管し、継承していく力と必要性のある権威のもと、その管理能力によって維持される」ということが一般的とされてきたのです。

『ブロックチェーンの描く未来』 P.91

 記録というのは、日本という国家やギネスワールドレコーズなどの団体によって権威付けされて初めて価値をもつものであって、その価値を担保するために税金なり、認定費なりの対価を我々は払っている。その対価は適正なんだろうか、またその中央の権威というのはそれ程信頼できるんだろうか、テクノロジーの力でよりよい仕組みを実現できないだろうか、ということが本書の主題である。

 

ベタな例を一つ紹介しよう。老後の生活資金の確保のために、毎月一定の金額を年金として支払い、その支払った記録を年金機構という国の権威ある機関に保管してもらい、将来然るべく年から年金を受給する運用を成り立たせるために、年金にプラスをして税金という対価を払っているわけではある。その記録が間違っていたというニュースが世間を騒がしたことは記憶に新しいし、杜撰な管理を行っている国の機関に税金という形で多くの対価が支払われており、それがいくらかも分からない上、将来年金がいつからいくら貰えるかも分からない状況というのは決して理想的とは言い難い。が、それ以外に多くの手段が提供されているわけではないので、仕方がないというのが現状である。

 

中央の権威が実はそれ程信頼できず、かつその費用が適正かどうかが判断できないのであれば、記録の正確性の担保を中央ではなく、コミュニティーに所属をする人が分散的に実施し、予め定められた納得感のあるガラス張りの対価を払う、というようなことは果たしてできないのだろうか。その答えがブロックチェーンにあると筆者は本書で様々な例を用いて説明する。これは国営会社を民営化しようというレベルの話ではなく、国家という枠組みそのものをぶち壊しかねない可能性を秘めており、まさしく記録と契約のパラダイム転換だ。

 

本書では、前回紹介した『WHY BLOCK CHAIN』より、詳細な技術的な説明がなされており、私はその理解をより深めることができた。詳しくは本書を読むことをおすすめするが、よく話題にでる仮想通貨ビットコインのみでなく、新しい契約の形であるスマートコントラクトやイーサリアムについての解説もあり、ブロックチェーンの仮想通貨にとどまらない拡張性がわかりやすく解説されている。その反面、仮想通貨に投資をしている日本人の多くは、ブロックチェーンの仕組みをそのまま使っているわけではなく、投機目的にその利用が留まるという悲しい現実も本書では紹介されており、ブロックチェーンの展開に向けての諸課題も包み隠さず語られており、勉強になる。。

我々が日々行っている記録や契約という行為の前提にチャレンジをするブロックチェーン。本書はその可能性に触れてみたい、より理解を深めたい人には一推しの一冊である。



『WHY BLOCK CHAIN』 ブロックチェーンの切り拓く未来

私はオープンソースを事業の中心に据える会社に勤めてもう10年以上になる。転職した当時は、ビジネスの世界ではまだメインを張れるほどメジャーではなかった。転職前の会社は日本法人が2万人以上いる外資系の巨大IT企業に勤めていたので、「お前、ノーアウト満塁、ノーストライクスリーボールなのに、何でそんな難しい球を打ちにいくんだ!」とか、「LINUXがどんなに優れていたって、証券取引所のシステムで使われることは絶対にないんだぞ!」とか、散々言われたが、今やオープンソースはソフトウェア産業の中心にあり、東京証券取引所もニューヨーク証券取引所のシステムもLINUXの上で稼働している。別に私も確信があったわけではもちろんないが、パンパンと手を叩き、目をつぶって将来に思いを馳せたら、「これからはオープンソースだな」という信仰に近い啓示があり、「時間の問題ではあるが、その時計の針を早めるために、この会社に入るのは面白いかもしれない」と思って今の会社に転職をし、大変な思いをしながらも、なかなか今まで楽しく仕事をさせて頂いている。

 

前置きが長くなったが、何故こんなにくどくどと私の転職の話をしたのかというと『WHY BLOCK CHAIN』の筆者坪井氏が本書で未来を語る様が、私がオープンソースに転職当時の思いと重なるように感じたからだ。暑苦しく大げさな言葉を使うことなく、坪井氏は淡々した言葉でブロックチェーンの切り拓く未来への自分の考えを語る。流行りの技術を仰々しい言葉で語る人は多いが、彼の下記の冷めた言葉使いからは逆に凄みがにじみ出ている。彼の思いを読んだ時に、「あぁ、この人は信仰に近いような思いでブロックチェーンの未来を信じているだな」と感じた。

 

WHY BLOCKCHAIN なぜ、ブロックチェーンなのか?

WHY BLOCKCHAIN なぜ、ブロックチェーンなのか?

  • 作者:坪井 大輔
  • 出版社/メーカー: 翔泳社
  • 発売日: 2019/07/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

自分が世界を変えるんだ、とは思っていませんし、実際そんな力はありません。世界を変えるのは私ではなくブロックチェーンです。しかも、私が好むと好まざるとに関わらず、ブロックチェーンが必然的に世界を変えていく。私がやっているのは、ブロックチェーンのこの作用を察知して、変わっていく世界に合致した新しいビジネスを提案したり、自ら組み立てたりすることです。

 『WHY BLOCK CHAIN』 第4章ブロックチェーンが拓く未来 P.166

 

正直、私は仮想通貨とブロックチェーンの関係がしばらく前までよくわかっていなかったし、ブロックチェーンが仮想通貨の要素技術であるとわかった後も、ブロックチェーンは仮想通貨のためだけにあると勘違いをしていた。本書は、ブロックチェーンをビットコインなどの仮想通貨と切り離し、IoT、5G、AIなどと並び次世代を切り拓く中核技術として、仮想通貨以外へのブロックチェーンの展開の可能性を語っている。コンセンサスアルゴリズムや分散型台帳などのブロックチェーンの中核技術も平易な言葉で説明されており大変わかりやすいし、単に礼賛するだけでなく、展開が見込める領域とその特性故に展開が見込まれない領域についても、冷静な視点で分析をしている点でとても好感が持てる。

 

一方でブロックチェーンは、「誰も管理していないのに自律的に機能するネットワーク」を実現します。GAFAのあり方を中央集権型のネットワークとすれば、ブロックチェーンは分散型、または非中央集権型のネットワークであり、大きく異る世界観です。ブロックチェーンは本質的に、GAFAのような大プレーヤーによる支配の構造を 崩していく作用を持っているのです。

『WHY BLOCK CHAIN』 序章 ブロックチェーンの今 P.17

私が本書を読んで、何より「ブロックチェーンは目が離せないなぁ」と思ったのは、中央集権型から分散型への流れを促進する要素技術であるという点だ。最近、四種の神器と言われている要素技術の中でその特性を備えるのはブロックチェーンだけだ。筆者は現在の中央集権型の法体系、規制とブロックチェーンの相性はあまりよくないので、着実ではありつつも変化はゆっくりと進行していくとまとめる。しばらく、英語の本を読んでいないが、おそらく少し進んでいるであろうアメリカの本でも読んでみようか、という気になった。

『暇と退屈の倫理学』 高度消費社会を生きる知恵

シックな木目調の机と椅子、少し和風で温かみのある光が溢れる照明、客席の中央に配置され、火がゆらゆらと揺れる暖炉、カロリーが表示され脂っこいアメリカンフードとは全く異なる健康的な食事、プラムジンジャーハイビスカスティーとカタカナで書くとなんのこっちゃみたいに見える無糖のオリジナルな飲み物。アメリカで流行っているパネラ・ブレッドという店で倅と昼食をとった後に書評を書いているのだが、店内は家族連れやヨガクラスなどを終えた如何にも健康大事にしてますみたいな人たちで溢れている。

 

チーズとマヨネーズとフレンチフライがど~ん!みたいな伝統的なファーストフードやレストランも未だ多いが、より適正な量の健康的な食事を提供しようというチェーン店はアメリカではどんどん増えている。そういう店には決まって「健康に気をつけてます」感が艶々な顔から溢れてヨガマットを抱えている人が多い。確かに健康的ではあるんだが、何故か内在する不健康さが透けて見えて以前から違和感を覚えていたのだが、本書『暇と退屈の倫理学』を読んで、私がぼんやり感じていた違和感がより立体的になった。

 

暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学

 

高度消費社会ー彼の言う「ゆたかな社会」ーにおいては、供給が需要に先行している。いやそれどころか、供給側が需要を操作している。つまり、生産者が消費者に「あなたが欲しいのはこれなんですよ」と語りかけ、それを買わせようとしている、と

 

 

そう、カロリーが抑えられた健康的な店でヨガマットを抱えている人は、アメリカのヘルスケア産業という供給側にコントロールされたサイボーグ感が私には漂うのだ。「ヨガで自分の体に向き合い、脂っこいジャンクフードは口にせず、オーガニックな食事をとり、スリムな体を保つ」というライフスタイルがセット販売されており、それをそのまま買った人たちなのだ。本書は哲学書なのでそういうことについての良し悪しの判断をしたり、批判することに重きはおいていない。そういう社会において、幸せになるためにはいかにあるべきかについて、暇と退屈という視点で切り込んでいるところが本書の面白いところだ。

 

かつては労働者の労働力が搾取されていると盛んに言われた。いまでは、むしろ労働者の暇が搾取されている。高度情報化社会という言葉が死語となるほどに情報化が進み、インターネットが普及した現在、この暇の搾取は資本主義を牽引する大きな力である。

 

かつては労働力が搾取されていたが、今は資本家によって暇が搾取されているという視点は私には大変新鮮であった。確かに、日曜日の自由な時間がヨガのプログラムとヘルシー志向レストランによって埋められているというのは間違っていない。そして、人がなぜ搾取をされてしまうのかについて、筆者は人間は退屈を嫌う生き物であるからという原則をたて、そこを出発点に暇と退屈の本質について360ページ超語っていく。

最大限の平易な言葉で語られているが、箇所によっては難解すぎて理解が追いつかないところも多々あった。本性は哲学書であるため、さっと読んでぱっとわかるという類なものではなく、テーマをもって深読みを重ねていくとじわじわと得るものが広がっていくというタイプの本だと感じた。幸せに生きるために、暇の中でいかに生き、退屈とどう向き合うべきか、についての直接的な答えは与えてくれないが、日々の生活を形作るための思考のきっかけを多く提供してくれるので、興味を持った方は手にとって頂きたい。

『AI救国論』キャリアの獣道と開かれた学習環境

本書『AI救国論』の第一章は「日本衰退の責任は若手の実力不足にある」という刺激的なタイトルが付されている。老人が若者への責任転嫁で書きなぐったような本なら読むに値しないが、31歳にして東京大学准教授でありながら、代表取締役として株式会社Daisyを経営する大澤昇平による著となると読まないわけにはいかない。

 

AI救国論 (新潮新書)

AI救国論 (新潮新書)

 

 今の日本は既にテクノロジストを優遇する実力社会であるが、残念ながらそこに若手が付いてこれていない。日本が年功序列なのではなく、教育が古いので若手に実力がないだけである。

 「日本の競争力が低いのは、実力社会の中にあって若者に実力がないからである」と舌鋒鋭く一刀両断する。年寄りに文句を言ったり責任転嫁をするのはやめて、若者よ自分たちの力でなんとかしようではないかという咆哮は、若手以上年寄未満の四十代半ばには何とも小気味良い。

もちろん、若手を吊るしあげるだけではなく、その若者の実力不足の構造的な問題、例えば貴重な高校生時代を詰め込み型の受験勉強に時間を割かなければならない大学受験の仕組み外注丸投げでテクノロジストの価値が正当に評価できないIT業界の構造、などにも言及している。これも単なる体制批判であれば、類似の書籍は掃いて捨てるほどあるが、本書の価値は筆者の展開する「べき論」に全て行動と現実的な解決策が伴っているところにある。例えば、「一般の大学受験をせずに、高等専門学校に進学をして専門知識を身につける」という詰め込み受験の迂回策を自らの経験を元に紹介し、会社経営をしながらも大学准教授として教鞭をとり、自分の思い描くこれからの時代に必要な教育を実力不足予備群の若手に実際に提供している。

 

高校受験の段階で高等専門学校に進学をするという決断までできるのはほんの一握りの人間であり、それが全ての人にとって現実的な解かというと疑問も残る。だが、ぶっちゃけここで提示される個別の解決策の汎用性はあまり重要ではない。本書の胆はAIが日本の未来を救うことでもなければ、ブロックチェーンの可能性でもない。本書の若手へのメッセージは、日本でひかれている壊れかけレールの上を進むのではなく、誰も入っていったことのない「獣道」を自分なりにかきわけていく胆力を持とうという点と、「獣道」をかきわけていくための技術を身につける手段は、一握りの人に開かれているわけではなく、全ての人に開かれているという点、に集約されると私は読んだ。

筆者は高専、筑波大学、東大大学院、IBM基礎研究所とテクノロジストとしての芸を極めるために歩を進めてきたが、高校の普通科の在学生数がおよそ250万人に対して、高専はわずか5万人である。そこから大学に編入し、日本最高学府の大学院に進学するというのは、後から振り返ってみれば「あり」な道ではあるが、誰もが通ることができるようになっているハイキングロードではなく、筆者がかきわけてきた「獣道」だ。

 

現在のIT業界はオープンイノベーションが極限まで進行し、多くのエンジニアはその上澄みだけを救うことで新規の概念を学習することが可能になっている。

ポイントは気合いを入れてそういった獣道に飛び込もうということだけではなく、AIやブロックチェーンなどのテクノロジストの領域は、学習環境が整備されているということだろう。クラウド上に開発環境が開かれていたりや中核技術がオープンソースで構成されているから、大きな組織に所属することなくとも最先端の技術が学習でき、自力さえあれば途中で野垂れ死ぬ可能性は低いということだ。なお、こういう学習環境については、テクノロジーの世界だけでなく、インターネットの力で様々な領域に広がっている。ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学が共同で立ち上げたedXのようなオンライン教育サービスは、テクノロジー領域のみではなく幅広い教育サービスが提供されている。こういった開かれた学習環境を活用し、筆者のような獣道をかき分けていく人材が幅広い領域からでて欲しいと思う。

 

繰り返すが本書は題材としてAIやブロックチェーンのようなテクノロジーが使われているが、学びをえることができるのはテクノロジストだけではない。年寄の高みの見物の説教はうんざりという若者には是非手にとって欲しい。

 

以下は完全に余談であるが、本書でも度々でてくるデータサイエンティストと日々仕事をすることが多い。同じ部署で新しくデータサイエンティストを採用しようとしている同僚がおり、「いやぁ、思ったより給料が高くて予算不足なんだよね」とこぼしていた。どのくらい高いんだろう調べてみたら、全米の平均が$121K*1くらいということなので、日本円にすると1,300万円近くになる。日本の平均は655万円*2とほぼ半分である。

データサイエンティストの部署のマネージャーと仲が良いので、「近隣の州立大学でコンピューターサイエンスを学んだデータサイエンティストを新卒で採用すると年収はいくらくらいなの?」と聞いてみたら、「もちろんスキルや経験によるけど、俺は即戦力を採用するより有能な若手を育てる主義だから、低めの$90K台(大体1,000万円くらい)を採用することが多いかな」との返事が返ってきた。海外に流出した私が言うのもなんだが、日本から海外への人材流出というのも別の課題としてあることは間違いない。

 

社内異動から垣間見るアメリカのキャリア模様

アメリカで働き始めてかれこれ6年ほどになるが、この11月から今まで働いていたファイナンスの部署を離れ、自分で希望をだして別の部署に異動した。渡米以後、初めての異動となり、その経験を通して、いくつか興味深い発見があったので本エントリーで共有したい。

 

仕事は社外にも社内にも等しく開かれている

私の勤める会社では、人を採用する場合は、まずマネージャーが職務記述書(ジョブディスクリプション)を作って、採用システムに登録をする。財務や人事のレビューをへて、外部に開かれた採用ページにそのポジションが掲載され、はれて募集がスタートすることになる。

今のアメリカの職場でまず驚いたことは、社内の人もその採用ページを滅茶苦茶まめにチェックをしているということ。どの部署のどのポジションがオープンであるというのは昼御飯の際の良く出る話題の一つだ。私は今の会社で長く働いているし、顔も広いので、同僚から「あの部署でこういうポジションを募集しているみたいなんだけど、どう思う?」と相談を受けることが結構多いし、自分の部下からさえも同様の相談をたまに受ける。

アメリカ人はキャリアアップに対する欲望は肌感覚としては日本人よりかなり強いので、今勤める会社でどんなキャリアアップの機会があるのか、常にアンテナをはって、貪欲により良い機会を社内でも狙っているというのが、私にはとても新鮮であった。

 

辞令が上から降ってくるということはない

私の会社では、上の方で人事を決めて、それが決定事項として下に振ってくることはまずない。所属長同士で話を進めたとしても、最終決定の前に必ず本人への確認も入り、本人の希望が最も尊重される。唯一の例外として、本人の希望が考慮されずに決定がされるのは、クビくらいのものだ(これも頻繁におきるが)。

なので、私の今回の異動も、同じ会社の中で面白そうな部署が設立されたので、そこの役員にまずは相談をして、私向けにポジションを作ってもらい、所属している部署に異動をしたいという意思表示をするというように、私主導で進めていった。希望をだしたとしても、もちろん所属部署と異動先の部署の合意は必要ではあるが、異動先と本人の間で合意形成がされていると、所属部署がそれを止めるのは正直かなり難しい

なお、私は所属していた部署からはかなり強く慰留をされ、最終的にはCFOに呼び出され、「私がこれだけ遺留しているのに、それでも異動するというのか」と迫られ、「遺留頂いているのは光栄ですが、やっぱり異動したいです」と答えて、無言のまま3分間睨まれるという、貴重な経験もした。CFOに呼び出された時には「これは流石に無理かなぁ」と思ったが、それでも自分の意思表示をすればそれが尊重されて通ることが実感できた得難い経験であった。

 

引き継ぎ期間が短い

上記のようなやりとりがあり、渋々ながらCFOから異動の了解をとりつけたのだが、その際に強く言われたのが、「君の意思が堅いのはよくわかった、でも今の部署の状況を考えて、少なくとも3ヵ月は引継期間をとってもらうからな!」ということ。ものすごく強い語調で言われたので少し怯んだのだが、その時に内心思っていのが「えっ!?すっげー普通!!」ということ。

そのポジションは4年半ほど務め、オフショアセンターも含めると10人近くマネージしていたので、ビジネスに支障がでないように引継ぎをするのが少し悩みのタネではあったが、怒れるCFOから異動の条件として提示されたのが「3か月の引き継ぎ期間」というのに少し拍子抜けしてしまった。
それでもアメリカでは異動が決まってから1ヶ月というのが通常なので、3ヵ月というのは異例の長さの模様。異動先の部署や同僚に引継は3ヶ月というと、物凄く気の毒そうな目でみられたり、中には「Crazy!!」と憤る人もおり、興味深いリアクションであった。

 

新しい挑戦は良いことで、みんなが祝福をする

私の異動の話は、私は自分のチームと、新旧のマネージャー、異動の決定プロセスにあった役員にしか私は話していなかったのだが、みんな噂話が好きなのでまたたく間に社内に広がっていった。私が異動の希望をだした時に、実は私の直属の上司が丁度会社を辞めてしまったので、正直異動するタイミングとしてはあまり良くない。私までいなくなってしまうと困るだろうなぁ、という懸念は私にもあり、「今のタイミングはないんじゃない?」という批判もされるだろうという覚悟はあった。

が、話す人話す人が「新しい部署に異動するみたいじゃん、おめでとう!」と口々に言ってくれたことには驚いた。周りから”Cool!!”、"Congratulations!!"、"Great opportunity for you!!などの言葉のシャワーをあびると、おめでたい性格なので当初の懸念はどっかにいき、「きっと今回の異動は素晴らしいものに違いない」と前向きな気持ちに自然となる。

こういうリアクションの背景には、会社や部署の事情より個人のキャリアアップが一番大事という考え方にプラスして、「挑戦をすること」と「挑戦する人をサポートすること」は美徳というアメリカの文化があると思う。それは日々のアメリカの暮らしでも実感していることであり、色々苦労はあるが「自分の人生を生きやすい社会」であると思う。

1ヶ月前の通知でいつでも解雇されるという可能性もあり、決して優しい環境ではないが、私にはこちらの方が働きやすいかな。

 

『なぜ倒産、平成倒産史編』転ばぬ先の杖

「敗軍の将、兵を語る」は日経ビジネスの人気の連載だ。Googleで「敗軍の」とうつと、「敗軍の将は兵を語らず」よりも上位に「敗軍の将は兵を語る」という言葉が候補としてでてくることからもその人気ぶりがうかがえよう。倒産に追い込まれた経営者たちが、外部環境の荒波にもまれた不遇、本人としてはあと一息のところで資金がつきた無念、己の力不足への悔恨の念、などを赤裸々に語る様は、勉強になるというよりも、濃厚な短編ノンフィクションとして、読み応えに溢れ、ついつい引き込まれてしまう。
 
「敗軍の将、兵を語る」が倒産に対してミクロの視点で切り込むのに対して、東京商工リサーチの全国企業倒産状況というページはマクロの視点で倒産についてのデータと分析が惜し気もなく提供されており、こちらも大変興味深い。
2018年の全国企業倒産(負債総額1,000万円以上)は8,235件、負債総額が1兆4,854億6,900万円だった。
倒産件数は、前年比2.0%減(170件減)。2009年から10年連続で前年を下回り、過去30年では1990年(6,468件)、1989年(7,234件)に次いで3番目に少ない水準だった。

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平成は2008年のリーマンショックをピークに倒産件数と負債総額が減少傾向にあるものの、昨年の倒産件数は8,235件と決して少ない数ではない。

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業種別にみると、建設業や製造業が減少傾向にある中、サービス業の倒産件数が横這い傾向にある。産業のパラダイムシフトが同時進行で進んでいることが見て取れて興味深い。

 
さて、前置きが長くなったが『なぜ倒産、平成倒産史編』を今回は紹介したい。
なぜ倒産 平成倒産史編

なぜ倒産 平成倒産史編

  • 作者: 日経トップリーダー,帝国データバンク,東京商工リサーチ
  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2019/08/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 本書は平成に発生した24の倒産の事例を紹介し、何がその倒産のトリガーとなったのかを編集者が考察するという形をとっており、上述の2つの丁度間の立ち位置をとっている。具体的な事例を後から振り返って客観的に分析しているので、ポイントが大変わかりやすい。

本書で紹介されるよう倒産の原因は凡そ下記の5つに集約される。
  • 新商品が不発で、過当な価格競争に巻き込まれた
  • 特定の取引先への過度の依存し、そこから脱却できなかった
  • 環境変化への対応並びに経営改革が推進できなかった
  • 逆風の中、経営幹部、もしくは現場をまとめることができなかった
  • 過剰投資により財務体質が大幅に悪化してしまった

成功事例は再現性が低いが、失敗事例は再現性が高い。言い換えれば「成功はアート、失敗はサイエンス」

というのが本書の持論であり、過去に学べば倒産を回避する可能性は高まるという。しかし、本書で紹介される企業が倒産していく様をみていくと、私には「失敗はサイエンス」という言葉が強すぎるように思う。「失敗は成功よりも科学的であるがアートであることに変わりなし」という方が私にはしっくりくる。倒産した会社を倒産すべくした倒産したと断じるのは簡単だ。だが、環境変化に対応するために積極果敢に投資をした結果「過剰投資による財務投資の悪化」となるケースもあれば、堅実な事業運営をしつつも積極策が打ち出せずに「環境変化への対応が遅延してしまう」ということもあり、「こうすれば失敗しない」という黄金律は経営にはない、という思いが本書を読んで強まった。環境変化が起きたタイミングというのも、インテルのアンディ・グローブは「変化のおきた正確な瞬間は終わったあとでもわからない」と下記のように語っている。

 

インテル戦略転換

インテル戦略転換

  • 作者: アンドリュー・S.グローブ,Andrew S. Grove,佐々木かをり
  • 出版社/メーカー: 七賢出版
  • 発売日: 1997/11
  • メディア: 単行本
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振り返ってみても、コンピューター業界にいつ戦略転換点が訪れたのか明確にわからない。<中略>

 私の頭の中にはコンピューター上で人の顔を別の顔に変えていく「モーフィング」のイメージが浮かんでくる。一つの顔がいつ消えて、それに代わる顔がいつ表れたのか、正確な瞬間を示すことはできない。ただわかるのは、初めに一つの顔があって、最後には別の顔があるということだけだ。どのあたりでどちらの顔により近かったかはわからないし、終わってから考えてみても、やはりわからない。

『インテル戦略転換』  〜第三章 P.53〜

 とは言っても、本書はわかりやるい答えを与えてくれるわけではないが、特に中小企業の経営者にどこに落とし穴がありそうなのかについては教えてくれる非常に有用な書だ。また、私的整理、民事再生法、破産などの業績不振に陥った際の手段がまとめられている第8章「倒産というカード」の切り方は全ての中小企業経営者が把握しておく内容だと思う。転ばぬことまでは保証はしないが、転んだ場合の転び方まで指南してくれる本書は中小企業経営者にとっての転ばぬ先の杖と言えるだろう。

 

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