Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

許してやれよ、「おとう飯」

内閣府の「おとう飯」キャンペーン炎上しているとのこと。男性の炊事への参画を促すキャンペーンのようで、私からみれば厚労省の「イクメン」キャンペーンと大差はない気がするのだが、敢え無く炎上してしまったようで、色々なご苦労の末、推進されてきたご担当の方にはご愁傷さまとしか言い用がない。主な炎上のポイントは下記の模様。

  • 自分はきちんと料理をやっている、男性を舐めている!
  • 洗い物までしっかりやらなければ意味がない!
  • 長時間労働の是正が先だ!

何と言うか、「みんな心が狭いな、「おとう飯」を許して、もっと温かく迎えてやれよ」って感じ。

私は「イクメン」キャンペーンなんてものがが始まる前から父親業に真剣に取り組んでいたので、「〇〇さんってイクメンですよね」って言われても、ちっとも嬉しくない(むしろ煩わしい)。でも、男性の育児への参加を促すことそのものは良いことだし、そのキャンペーンをきっかけに子育ての楽しさを覚える男性が増えるのはとても良いことだと思う。なので、「おれは元々ちゃんと父親やってるんだよ、舐めんな!」とかは思わないし、「キャンペーンがうまく浸透しているようで良かったね(自分はあまり関係ないけど)」、というようにポジティブにとらえている。既に「料理をよくやっているよ」という人も、「おとう飯」キャンペーンをみて「男を舐めるな!」とか憤るのではなく、「あぁ、自分はキャンペーンのターゲットではないんだ」とさらっと流し、「料理の楽しさに目覚める男性がもっと増えればよいね」と応援してあげればいいのにと思う。

「家に帰るまでが遠足」と一緒で、「調理器具・キッチンを片付けるまでが料理」というのが私の信条なので、「洗い物までしっかりやらなければ意味がない」というポイントもわからないでもない。だけど、今時料理をしない男性というのは、それなりの理由があって今に至るわけだから、いきなりハードルをあげずに、まずはキッチンに立ってもらうところから始めないと。「人に料理を作って、美味しいと喜んでもらえる楽しさを覚えてもらうこと」が第一に超えてもらうハードルであって、それを過ぎた後に片付けや段取りの話をもってこないと長続きしないだろうに。料理に慣れてくれば、段取りや片付けを意識しながらしたほうが、調理がスムーズに進んで楽しい、という別の料理の楽しみを自然と覚えるようになると思うのだが。

上記の2点は外野からの突っ込みと思われるが、「長時間労働の是正が先だ!」という点は、「おとう飯」キャンペーン対象の料理をしない層からもでている声だろう。この批判にも私は違和感がかなりある。長時間労働是正にしても、男性の家事・育児への参加にしても、長く培われてきた慣習をより良い方向に変えていこう、という話しなのだから、どっちが先で、どっちが後というものでもない。「長時間労働は国が何とかしてくれ」という他力本願具合も何とも頂けない。そんな批判をしている人は、残業時間が一時間減ったくらいで、その時間を料理に回すということはまずないんではないだろうか。まぁ、育休取得奨励という働き方とセットで進めた「イクメン」と、肩に力いれずに飯作りなよ、というメッセージングのみの「おとう飯」の、キャンペーンとして構想力の違いが、受け取られ方の差を作っているのだろうが。

若干、進め方やメッセージに頂けない点はあったかもしれないが、そこは目をつぶって、「おとう飯」キャンペーンの意図を汲んで温かく見守ってあげたい。

連日6時30分まで残業をして離婚の危機!?アメリカの残業事情

このままじゃ、俺、離婚されちまうよ!7時以降ならオンラインに戻れるから、悪いけど宜しく!」、悲鳴とも聞こえる言葉を残して、ものすごくやりかけの作業を残してオフィスを夕方5時に去る同僚に対して、呆然としながらも「g, good luck...」という言葉しか私は出てこなかった。

子供の送り迎えをどのように夫婦間で分担するのかについては、日本よりずっと進んだアメリカにおいても、家庭によってかなりトーンが異る。ベジタリアンの中にも、牛乳や蜂蜜も食べないという純度の高い人もいれば、たまに肉を食うことも厭わないという軽いタッチの人がいるように、子供の送り迎えについても、完全な共働きで完全な分担をしている純度の高い人もいれば、妻が中心だがたまに夫も送り迎えをすれば許されるというレベルの人もいる

冒頭で紹介した同僚は純度の高い部類に入る人で、緊急度の高い”Fire Drill"をその週に私と一緒に取り組んでおり、毎日夕方にVPとレビューをして、翌日にレビューででたアクションを二人でつぶす、ということを数日繰り返していた。ばたばたと慌しく、プレッシャーはきついものの、6時30分くらいにはオフィスをいつも出ていたので、私にしてみれば全然オッケーという感じだったのだが、私の同僚はと言えば、4時30分くらいに困った顔をして、「ちょっと、緊急の仕事がまた入って、今日も迎えにいけないんだけど、お願いできないかなぁ」と彼の妻に電話をする日が続いていた。ある日、VPのレビューが6時に後ろ倒しになってしまった上に、追加でいくつかの分析をその日のレビュー前までに完了させるよう頼まれた。きっと彼はその日の朝に「今週は代わりに何度も迎えにいってくれてありがとう、今日こそは絶対俺が迎えにいくから!」なんて会話をしていたと想像される。そんな日に限ってVPの都合でレビューの時間が後ろ倒しになってしまったが、子供の迎えを先に終えて、レビューは家から電話で入ればいいや、という算段をしていたに違いない。悪いことにさらに追加の分析作業が入ってしまい、ぎりぎり迄オフィスで私と頑張ったのだが、これはもう無理そうだという判断をお迎えに間に合うぎりぎりのタイミングで下し、冒頭のシーンになったわけである。

私は妻が在宅勤務なので、そういう苦しみはあまりないのだが、そういう苦労話については皆ネタを持っていて結構面白い。他の同僚と昼食を食べた際も、「送りは妻、迎えは俺って役割分担なんだけど、いつもギリギリの時間の5時半にプリスクールに駆け込むことが多くて、娘から『どうして、私はいつも最後の一人なの?いつも教室で一人ぼっちだわ』って怒られちゃってさぁなるべく少しでも早くいくように4時半から5時はスケジュールをブロックしているんだけどね、、、」と切ない愚痴を聞かされた。

心置き無く残業ができることについて、妻に感謝の気持ちを覚えることなど、正直日本で働いていた頃はなかった。でも、そういう同僚に沢山触れることにより、「気兼ねなく残業できるなんて、自分は恵まれているんだ、妻よありがとう」という気持ちが少しづつ湧いてきている。パフォーマンスが悪ければ容赦なく解雇される環境にありながら、家族との時間についても重いコミットメントを背負っているアメリカのワーキングファーザーに幸あれ!

「環境」が変われば「働き方」は変わる 〜 アメリカで「働き方」を改革された私の話

先日、13年間日本で暮らし、2年前にアメリカに移住してきたインド人家族と知り合い、家に招待をして食事をするような間柄になった。お父さんのほうは、日本で13年も仕事をしていたので日本語はペラペラ。盛り上がる話題は、やはり「日本とアメリカの違い」。お父さんの方から開口一番ででたのは、日本では遅くまで会社で仕事をしないといけなかったけど、アメリカは早く帰れるのが本当にいいところです」ということ。それに対するお母さんの切り替えしが秀逸。「アメリカに来てからは一緒に過ごす時間が多いからケンカが増えた、帰ってくるのが早すぎ」、爆笑。


アメリカのノースカロライナ州で生活を始めてから3年半ほど経つ私。アメリカに来て良かったことは、「家が広く、裏庭でビール飲みながらバーベキューとか手軽にできて快適」とか、「見ず知らずの人でも積極的に助けようとするオープンな互助精神に溢れていて暮らしやすい」とか、「信号に阻まれることなく、長距離を快適にジョギングできる」とか、色々あるが(もちろん悪いことも沢山ある)、「労働時間が減って、自分や家族のため時間が増えた」ことが正直一番嬉しい。

最近は日本でも「プレミアム・フライデー」とか、「働き方改革」とか、盛り上がっている模様。私は、働き始めて最初の10年は激務の外資系コンサルティング会社に勤めて、その後も今勤めているアメリカ資本のソフトウェア企業の日本法人でハードワークをこなしてきた。長時間労働が体に染み付いているし、仕事を断るのも下手だし、誰も拾わないけど会社にとって大事な仕事があると放っておけない性分だし、何より仕事が嫌いではない。そんな私も今は夕方18時から19時の間には仕事を切り上げ、ジョギングをしたり、子どもの宿題をじっくりみたりして、生活における仕事や会社の比重が下がりつつある。未だに、深夜2時まで働いたり、休日に仕事をすることだってあるが、働く時間は日本に住んでいた頃より激的に減っている。でも、自らの意志で仕事に対する考え方を変えたというわけではなく、環境」が変わり、それに合わせて「働き方」が少しづつ変わってきというのが正直なところだ。

以下、私の経験から、アメリカで感じた、日本と異なる働く環境・文化の違いをあげてみたい。多分、ニューヨークとかの大都会はきっとトーンが異なるだろうし、パフォーマンスが悪ければ容赦なく解雇されるアメリカ企業であるが故の部分もあると思うがご参考まで。特に「働き方改革」を掲げるお偉いさま方にはご一読頂きたい

 

1.男女を問わず「子どものお迎え」は残業を断る至極真当な理由となる

アメリカに住んで間もない頃、子どもが通う学校から仕事中に電話がかかってきて、「あなたの子どもがスクールバスに乗り遅れてしまったので学校に向かえに来てほしい」、と言われた。渡米して2ヶ月もたたない頃で、妻はまだ車がなかったので、私がいくしかない。まだ16時くらいだったので、上司を10分くらい探して了解をとろうとすると、「学校から第一報を受けた時点で直ぐにオフィスを出発すべきだ、私への報告なんてテキストを後から送れば宜しい」と注意を受けた。あぁ、日本とは考え方が違うなぁ、という印象を受けたことを今でも覚えている。
午後に緊急の仕事が入ることは私の部署ではよくあるが、「今日は子どもの迎えがあり、今会社をでないと行けないので、家に帰ってからフォローさせて」というのはよくある夕方の会話で、上司も「あぁ、子どもの向かえ?じゃぁ仕方がないね、さあ行って行って」という感じ。アメリカでは「子どもの迎え」が突発的に(もちろん計画的にも)発生するのは家族を持つ人は誰もがあることなので、上司の理解もあるし、同僚同士で助けあおうという雰囲気もとても強い。ワーキングマザーが「子どもの迎え」を理由に残業を断り、肩身の狭い思いをするなんて雰囲気は微塵もない(というか、終業時間前でもそれを理由に帰っている人はかなり多い)男女に関係なく、家族第一という精神が根付いているので、とても働きやすい。

 

2.緊急の仕事が入っても、優先順位をつけて、17時には皆で帰社しようとする

私の部署は、経営管理部なので、経営陣から突発的な分析のリクエストが入ることがよくある。3年半のアメリカ生活で新たに得た語彙は勉強不足のため大変少ないが、”Fire Drill(文字通りの意味は火災非難訓練だが「緊急度の高いやっつけ仕事」という意味で使うことのほうが私は多い)”は数少ない中の一つ。「早朝の経営会議であがった事案を明日の朝までに提出!」というのはたまにある話で、”Fire Drill”に必要な人は会議室に招集され、目的、成果物のイメージが共有され、作業指示がとばされる。私の感覚だと、「あぁ、今日は会議が詰まっているから、残業確定だなぁ」という感じなのだが、アメリカの同僚たちはまずその日に入っている打ち合わせを翌日以降にずらすことから始める。指示をだしたマネージャーも「何か緊急度の高い他の作業や会議がある奴はいるか?」と必ず確認し、「そんなのは明日以降だな」、とか「その成果物の期限は今週末までにのばせるように私が調整するから」とか、緊急の案件にフォーカスできるよう協力してくれる。もちろん、それでも夜遅くまで対応しないといけないこともあるが突発的に入った仕事に対してマネージャーも含めてきちんと優先順位付けをして、定時以内に仕事を終わらせようと常にトライする姿勢をアメリカにきて学んだ

 

3.マネージャーが「Go home(早く帰れ)」というだけでなく、早く帰るためのヘルプをしてくれる

営業部署のトップの役員にレポートを送付しなければならなくて、ある晩一人でオフィスに残って仕事をしていた。レポートそのものは大体できあがっていたのだが、役員向けなのできちんとした英語でサマリーをメールの本文に書かなければならない。日本法人で働いていた頃は通じればよかったのだが、流石にアメリカ本社だと、きちんとした書き英語が求められ、私は未だに勉強不足で時間がかかる。そこに私より5倍以上忙しい私の部署のトップの役員が夜遅くまでかかった会議をようやく終え通りかかった。「まだ、やっているのか、あぁ、あのレポートだな、あとどれくらいかかる?」と聞かれた。正直1時間はかかるなぁと思っていたのだが、「後10分くらいで送れると思うので、先に帰っていて下さい」と答えた。「そうか、ちょっと資料を見せてみろ」と言って、私のまとめたレポートをざーっと読んで、「うん、よく出来ている」と一言残し、自分の部屋に入っていった。5分くらい後に、その役員が鞄を抱えて私の席に立ち寄り、「今、メールでサマリーをお前に送ったから、ちょっと開いてみろ」というので、メールをチェックすると美しい英語で書かれた完璧なレポートのサマリーがそこにはあるではないか。「内容を確認して、問題なければ、今すぐに送るんだ。俺はお前を待っているから直ぐにやってくれ」と言われたので、急いでコピペをして、レポートを添付して営業担当役員に送付をした。私が送付し終わるのを後ろで仁王立ちして確認をしたその役員は「さ、帰るぞ、お前はこれで俺が手伝わなければ22時までやる奴だからな」と言い、顎でエレベーターホールのほう指した。
アメリカでは遅くまで残業していると無能とみなされる、というのは良く聞く話ではあるが、私の肌感覚とは少し異なる。高い成果をあげるために一生懸命働くことは評価の対象となるし、ハードワークに対して感謝をされることも多い(もちろん、きちんとした成果が伴うことが前提だが)。が、ハードワークを奨励しつつも、家族との時間にも十分敬意を払い、本当に必要なことにフォーカスし、またそれをなるべく早く終えるためのサポートをマネージャーがきちんとしてくれるのが今のアメリカの職場の良いところだ。上から頼まれたことをそのまま下に投げるということも殆どなく、各階層で何が本当に必要なのかを判断する裁量の余地が日本よりも大きいように感じ、それも大事な要素だと思う。

 


私は「環境」が変わって、「働き方」が大いに変わった。私の経験を振り返るに、もちろん働く人個々人の意識も大事であるが、トップも含めた会社の上層部の意識が「職場環境」に大きな影響を与える。「働き方改革」を標榜しているが、進んでいないなぁ、と感じる方々は、上の人の意識改革がきちんと進んでいるか、まず確認することを強くお勧めしたい。


行きはよいよい帰りは怖い 帰米時に空港で「別室送り」になった話

アメリカでは不法移民を厳しく取り締まると豪語するトランプ氏が予想を覆して大統領になったが、合法移民の私の移民ばなしを本日は共有したい。

 

アメリカという国は出国をするのは非常に容易い。何度もアメリカ国外にでているが、未だにどこを通った時点でアメリカ出国となっているのか正直わからない。「気づかないうちに出国していた」というくらい出国は容易い一方で、入国は簡単ではない。自動化されているESTAとは異なり、VISAだと入国審査で質問を色々されて、一筋縄ではいかないことが多い。アメリカでは不法移民が1千万人を超え、社会問題となっているので、「出ていきたい奴はどんどん出ていってくれ、ただ簡単には入国させないぞ」という感じなのだろう。先日、インド・シンガポールに出張をしたのだが、帰米時に入国審査でひっかかり、あえなく「別室送り」になってしまったので、その際の話を共有したい。


現在VISAをL1BからL1Aというタイプに切り替え中で、状況が少しややこしいので、インド出張の前に、弁護士にどの書類を持っていったら良いのか相談をした。「君の場合は、i94しか今時点では持っていけるものがないので、i94を持っていって」との返答があった。i94というのは、アメリカへの出入国記録で、平たく言うと「どんなVISAでアメリカにいつ入国し、いつまで滞在ができるのか」ということが記載された用紙で、私は2017年7月までi94上は滞在できることになっていた。弁護士の確認もとれたので、i94をウェブからダウンロードして意気揚々と出張に出発することに。


2週間のインド・シンガポール出張を終えて、シンガポールから香港へ、香港からシカゴへという長旅をへて、無事アメリカに着陸。飛行機をおりて、いざ入国審査に。こればっかりは何度やっても緊張する。ESTAの列が早々にはけたのを横目に遅々として進まないVISAの列で本を読みながら自分の番を待つ。乗り継ぎの時間は3時間半あったので、トラブルがなければ時間に大きな心配はない。


ようやく私の番になり、パスポートとi94を入国審査官に見せる。「無事に通してくれ!」と心の中で祈るも、怪訝な顔をした入国審査官が「I129SかI797を見せてくれる?お前のVISAの滞在期限は2015年4月だから」とおっしゃるではありませんか。「いや、弁護士に確認をしたらi94だけで大丈夫って話だったんだけど」と返答するも、「I129SかI797がないなら、俺はお前を通せない、じゃぁあっちの部屋に行ってくれ」と別室を指差す。ひぃ、このままでは別室送りになってしまう。何とかi94で通れないかお願いするが、こういうモードになったらアメリカの役人は自分のポジションを変えることはまずない。あえなく恐怖の「別室送り」になってしまった。


大きな空港は色々な国籍の人がいる国際色豊かな場所である。その一画に位置するCustom Boarder and Protection、税関国境警備局の別室は同敷地内においても、より一層濃密な国際性を醸し出している。米国入国に何らかの問題のある人間が狭い密室に閉じ込められ、自分への処遇に不安を覚えながら一様に眉間をシワをよせて鎮座している様は、移民大国アメリカの縮図と言っても過言ではない。


席に座って待つように指示されたので、弁護士からのメールや追加の書類をパソコンを探していると、一人の職員がやってきた。


職員A「お前、何をやってるんだ(もちろん詰問調)?」


私「いや、必要な書類をさがしているんだけど」


職員A「今直ぐパソコンをしまえ、今直ぐにだ!」


そんな言い方しなくてもいいのにと渋々パソコンを鞄にしまう。仕方ないので、スマフォで調べようと電話を取り出すと、予想はされていたが再び「お前、何をやってるんだ?」とまた厳しい口調で言われるので、仕方なく無言で電話もしまうことに、、、。Kindleでも読もうかと思ったが、また怒られると嫌なので仕方なくしばらく席で待つことに。しばらくして、私の名前が呼ばれたのでカウンターに行く。


職員B「お前のパスポートのVISAの滞在期限は2015年だから、I129SかI797がなければ、お前は入国できない」


私「いや、今VISAの延長申請中で、出国前に弁護士に確認をしたら、今回はi94を持っていけって言われて、それで十分なはずだと言っていたんだけど、、、」


職員B「いいか、お前が入国できるのを決めることができるのは、お前の弁護士じゃない、この俺なんだ!


うひぃ、正しいけど、この高圧的な態度と置かれているピンチな状況で胃がきりきりと痛くなる。


私「じゃぁ、弁護士にちょっと電話で相談をしていいですか」


職員B「分かった、電話をして、直ぐにI129SかI797を送ってもらえ」


私「電話をここで使っていいですか」


職員B「電話をここで使わずに、一体全体どうやって弁護士に連絡をとるつもりなんだ、お前は?


さっき別の職員に電話を使うなときつく言われているから聞いただけなのに、、、。弁護士事務所に電話をし、何度かたらい回しにされつつも、何とか担当弁護士をつかまえることができ、事情を説明。立ちながらパソコンをひらいて色々弁護士と話をしていると、パソコンと電話の使用について先ほど私に厳重注意を下した職員Aが唖然とした顔で私を見ているではありませんか。


職員A「お前は、なぜここでパソコンをみて、なぜここで電話をしているんだ!!


職員Bはさっさといなくなってしまったので、何と説明したらよいのやら、、、。仕方ないので、


私「別の職員の方から、直ぐに"自分のパソコン"と"自分の電話"を使って、今直ぐ弁護士に電話をしなさい、って言われたんです」


と、嘘か誠かと言われたら、嘘と言われてもおかしくない回答をする。職員Aは不満げ、面倒臭げな面持ちで去っていった。米国入国に向けて前に進めば何でもよいのだ。そんなやりとりをしている傍らで、事情はよくわからないが一文無しなので入国できないと泣き崩れるメキシコ人女性がいたりして、カオス感が最高潮に達する「別室」なのでした。


結局、この後、弁護士が職員と直接話しをして、弁護士から追加の書類をメールで送付をしてもらうことになり、ようやく無罪放免になる。正直、弁護士が何の書類を送ったのか、そもそも本当に書類を送ったのかどうかは、私にはわからないが、、、。


なお、VISAについて、正直あまりに不勉強だったので、これを機会に少し勉強をした。どうも、私のパスポートに貼ってあるVISAは2018年が「有効期限」である反面、それとは別に記載される「滞在期限」は2015年4月となっていた模様(今まで、そこを突っ込まれることはあまりなかったのだが、、、)。私の会社が「滞在期限」の延長申請を提出しており、それが仮に承認されれば、延長申請に新しい「滞在期限」が記載され、その書類をI129Sというらしい。また、VISAが承認された場合に、新しい「滞在期限」を記載した私自身に発行される通知がI797Aらしい。

 

無事、入国できたからよかったが、「別室」は本当に二度といきたくない。乗り継ぎの空港というのは、ビールをパイントで楽しむ場所であるべきだ。トランプ大統領、どうかお手柔らかに。

グリーンカードから垣間見るインドのグローバリズム

アメリカに来てそろそろ3年になる。相変わらず英語力は今ひとつなものの、勤め先からは戦力とみなしてもらい、グリーンカード取得のための支援をもらっている。先日、私のチームメンバーと私自身のグリーンカード申請の状況を確認するために人事部と打ち合わせをした。そこで新たな発見があり、考えるところがあったので共有させて頂きたい。

人事によると、私はEB1種類のグリーンカードを取得しようとしている、とのこと。EB1の特徴は、1)マネージャー職も含め、専門性が高い人のみ取得可能であり2)労働市場テストが必要でなく、申請手続き・期間がそれほどかからない、という点にある。
労働市場テストというのは私も馴染みがない言葉であったが、平たく言うと「アメリカの労働市場で同様の人材が採用できるかどうか」をテストし、 実際に「採用ができなかった」なら、海外の人材にグリーンカードを付与しましょう、というもの。即ち、アメリカで採用できる人がいる場合は、自国の労働市場から人材を調達しなさい、だけれども、代替人材の採用ができなければ仕方がないよね、という考え方。この労働市場テストのために、実際に新聞に求人広告をだして、書類選考・採用面接までするので、時間とお金と手間が非常にかかる。私は、労働市場テストをスキップできるので、順調に行けば来年の後半にはグリーンカードが取得できるだろう、とのことだった。

一方で、私のチームメンバーはインド生まれのインド人であり、彼はマネージャ職にないため、EB2というグリーンカードを申請している。幸いなことに彼は既に労働市場テストはパスしているため、最後の申請を残すのみとなっている。私より先にグリーンカードの手続きをし始めている彼の取得タイミングは私と同様、並びに少し遅いくらいかと思っていたが、それがとんでもない思い違いであることをこの人事との打ち合わせで知ることになる。何と、インド生まれの彼は後10年は少なくとも待たないといけない、とのこと。

インド、中国、フィリピン、メキシコの4カ国は申請者が多いため、別枠が設けられており、個別の枠毎に毎年発行するグリーンカードに制限がある。中でもインド枠は、発行数に対して申請者が圧倒的に多いため、長蛇の列ができており、10年近く待たなくてはならないとのことであった(もちろん状況は刻々と変化するが)。

アメリカという国に移り住み、同じように永住権を申請しようとしているが、生まれた国の違いということをもって、10年も取得期間に差がでるという事実にショックを覚えた。その一方で、インドという国の人々の外にでようとする力の強さにも衝撃を覚えた。米国企業の現地採用社員として様々な国籍の人と働く機会があるが、インド人は中でもやはり集団として異才を放っている。よりよい仕事・生活環境を求めて、国境をものともせず、自身の成功に向けて邁進する彼らの力強さを日々体感しているが、永住権取得の行列の長さを数字で示されると得心するところが大きい。日本の中だけで仕事をしていた時は「インドが住みにくいから、みんな他の国に行きたがるんじゃないの?」という穿った内向きな見方しか多分できなかっただろう。でも今は、自分の根を張る地面を探し求め、国境を超えることを厭わず、成功に向けてチャレンジを続ける層の厚さ、これこそがインドという国のグローバリズムであり、国としての強さなのだと感じる。

海外に引っ越す方への贈り物

先日Facbookで元同僚から「アメリカに引っ越す時にもらって嬉しかった贈り物は何か?」という質問を受けた。頂いて正直困ったものもあれば、こちら での生活の一部として今なお活躍しているものもある。私自身の経験から、海外に引っ越す人へ贈り物を渡す際の考慮事項をあげてみたい。

1.本人が欲しいと思うものを船便・航空便の送付前に贈るのが一番
海 外での新しい生活は何かと物入りだし、大きな引っ越しを機会に新調したいものもあるので、やっぱり本人に何が欲しいのか聞くのが手堅いと思う。ただ、考慮 をしないといけないのは、贈り物は船便または航空便の送付前に購入し、渡すということだ。旅立ちの日のスーツケースには、どんなに小さなものでも入るス ペースはないと考えたほうが良い。荷物を送ってしまった後に「日本の味が恋しくなるでしょう」という感じでもらう食べ物は、恋しくなる前に日本で消化され ることことが殆ど。私は、料理が好きなので、中華鍋や牛刀を贈り物として船便発送前に頂き、今でもとても大切に使っている。人によって異なるので、船便、 航空便の発送タイミングは早めに確認をしておくことがとても大事だ。

2.船便・航空便発送後なら、荷物にならない身に付ける小物類が嬉しい
船 便・航空便を既に送ってしまったという場合は、小さな箸置きのようなものでも避けたほうが良い。手持ちのスーツケースの中は、引越し後船便が届くまでの 3−4週間を過ごすために必要不可欠なものを詰め込むので、品の良い贈り物を頂いてもあまり嬉しくないものだ。なので、モノをプレゼントする場合は、キー ホルダーとか、財布とか、 iPadケースとか、機内持ち込みを普通にできる身に付けるものが良いと思う。私は、キーホルダーやFitBitをもらったの だが、アメリカでの生活の一部となっており、とても重宝している。また、大きなスーツケースが必要だったので、リモアの80Lくらいのスーツケースもリク エストして頂いたが、こちらもとても嬉しい贈り物だった。

3. 間に合わなかった場合は、日本食材詰め合わせを後日発送
引っ 越しが2−3週間というのは、とても日本の味が恋しくなる。なので、無理に何か贈り物を頂くよりも、何気に住所が決まった後に、せんべいとか、塩昆布と か、出汁パックとか、そういう日本の味覚を送って頂くほうが嬉しい。住所は既に決まっている場合もだろうし、決まっていない場合でも1週間くらいで大体決 まるものなので、タイミングをみて住所を教えてもらい、日持ちする日本の食材を贈るのは良いアイデアだと思う。わが家の子どもたちが、アメリカに初めて送 られてきた塩昆布をもって狂喜乱舞していたのは、忘れられない引っ越し後のワンシーンだ。また、子どもがいる家庭への贈り物であれば、日本のキャラクター グッズは海外ではあまり手にはいらないので嬉しいと思う。

アメリカと日本の小学校の違い

日本語補習学校の生徒たちの作文集を正月休みに読んだ。夏休みの宿題であるため、日本に一時帰国をし、体験入学*1をした時に感じたことを書いている生徒が多い。特に物心つくころからアメリカに住み、日本に住みながら小学校に通ったことのない生徒は、色々新鮮な発見があったようで、多くの生徒がこのテーマを選んでいた。大変、興味深いのは、生徒たちがあげるアメリカと日本の小学校の違いが殆ど同じであったことだ。これは正に生徒の視点から見た日米の小学校の違いの決定版。本エントリーでは、必ずと言っていい程あげられていた違いを4点を紹介したい。


1.アメリカではスクールバスや車で通学をするが、日本では歩いて学校に行く
全校生徒が歩いて通学というのは驚きであったらしい。仲良しの友達と学校へ向かう途中でばったり会ったり、一緒に遊びながら下校をするのは楽しいもので、子供だけで登下校ができる日本の治安の良さは本当に素晴らしいものだと思う。アメリカでは、徒歩通学の生徒もいるが、スクールバスの利用者が一番多いように思う。なお、安全管理のためにスクールバス関連の運転規則は非常に厳格。わがNC州では、中央分離帯がない片側2車線の道路では、スクールバスが停まるとその間、対抗車線も含めて全ての車が停止しなければならない。子どもの安全管理について、国をあげて取り組んでいるのはアメリカの良い所と思う。

2.アメリカではお昼ごはんにお弁当をもっていくが、日本では給食がでる
当番の生徒がご飯やスープをよそい、全員で同じものを食べるというのは、アメリカでは考えられないことなので、驚いた生徒が多いようだ。わくわくしながら献立表を見たり、お好みのメニューに喜んだり、牛乳を飲んでいる友達を笑わせたり、給食にまつわる楽しい思い出は私もつきない。文化、人種、宗教が多様すぎるアメリカでは、全ての生徒が同じものを食べるのは難しいので、カフェテリアで何か買うか、お弁当を持っていくのが通常。が、カフェテリアのメニューは充実しておらず、ランチにクラッカーだけを持たせているような親も多いようだ。日本の給食制度は「食育」としての効果が高く、素晴らしい制度だと思う。

3.アメリカでは小学校にプールはないが、日本ではあり、体育で水泳ができる
「体育でプールがあるのがすごい」という視点は私には新鮮で面白かった。私自身、水泳が得意なほうではないが、ただ今泳ぐことができるのは間違いなくプールの授業の賜物であり、日本の教育制度に感謝をしている点だ。アメリカの小学校にプールがないのは、宗教や安全管理上の理由も大きいとは思うが、体育(アメリカではPhisical Educationを略してPEと呼ぶ)の授業への取組方の違いもあるように思う。アメリカの小学校ではPEは週に1-2回しかないし、教育というよりも「ま、体も動かさないと、、、」というトーンが強いように思う。多用な運動経験を積ませて、体力増進と基礎運動能力の向上をはかるというような日本の体育の視点はない。「食育」に加えて「体育」もアメリカにはもう少し必要だ。

4.アメリカでは教室の掃除も清掃員がするが、日本では生徒自らが教室を掃除する
私の子どもがアメリカの小学校で一番閉口しているのは、トイレやカフェテリアを他の児童がきれいに使わないこと、だという。カフェテリアは、時間をずらして入れ替え制で使うようなのだが、後半のほうになると、落ちた食べ物が散乱していて床がべたべただと聞く。カフェテリアをきれいに使わないのは、やはり自分で掃除をしないからだ。日本の小学校で掃除を体験した補習校の生徒たちの中で、掃除が面倒でいやだったと言っている子は一人もいなく、一様に「みんなで教室をきれいにして気持ちよかった」と言っている。下記の動画はFacebookでは20万以上の「いいね」を集めており、色々な国の方から絶賛されている。是非、生徒が掃除をするという制度は日本でずっと維持して欲しい。


Should kids clean their own classrooms? Japan thinks so.

*1:海外居住の子どもの短期的な入学を受け入れる日本の小中学校の制度

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