Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

「環境」が変われば「働き方」は変わる 〜 アメリカで「働き方」を改革された私の話

先日、13年間日本で暮らし、2年前にアメリカに移住してきたインド人家族と知り合い、家に招待をして食事をするような間柄になった。お父さんのほうは、日本で13年も仕事をしていたので日本語はペラペラ。盛り上がる話題は、やはり「日本とアメリカの違い」。お父さんの方から開口一番ででたのは、日本では遅くまで会社で仕事をしないといけなかったけど、アメリカは早く帰れるのが本当にいいところです」ということ。それに対するお母さんの切り替えしが秀逸。「アメリカに来てからは一緒に過ごす時間が多いからケンカが増えた、帰ってくるのが早すぎ」、爆笑。


アメリカのノースカロライナ州で生活を始めてから3年半ほど経つ私。アメリカに来て良かったことは、「家が広く、裏庭でビール飲みながらバーベキューとか手軽にできて快適」とか、「見ず知らずの人でも積極的に助けようとするオープンな互助精神に溢れていて暮らしやすい」とか、「信号に阻まれることなく、長距離を快適にジョギングできる」とか、色々あるが(もちろん悪いことも沢山ある)、「労働時間が減って、自分や家族のため時間が増えた」ことが正直一番嬉しい。

最近は日本でも「プレミアム・フライデー」とか、「働き方改革」とか、盛り上がっている模様。私は、働き始めて最初の10年は激務の外資系コンサルティング会社に勤めて、その後も今勤めているアメリカ資本のソフトウェア企業の日本法人でハードワークをこなしてきた。長時間労働が体に染み付いているし、仕事を断るのも下手だし、誰も拾わないけど会社にとって大事な仕事があると放っておけない性分だし、何より仕事が嫌いではない。そんな私も今は夕方18時から19時の間には仕事を切り上げ、ジョギングをしたり、子どもの宿題をじっくりみたりして、生活における仕事や会社の比重が下がりつつある。未だに、深夜2時まで働いたり、休日に仕事をすることだってあるが、働く時間は日本に住んでいた頃より激的に減っている。でも、自らの意志で仕事に対する考え方を変えたというわけではなく、環境」が変わり、それに合わせて「働き方」が少しづつ変わってきというのが正直なところだ。

以下、私の経験から、アメリカで感じた、日本と異なる働く環境・文化の違いをあげてみたい。多分、ニューヨークとかの大都会はきっとトーンが異なるだろうし、パフォーマンスが悪ければ容赦なく解雇されるアメリカ企業であるが故の部分もあると思うがご参考まで。特に「働き方改革」を掲げるお偉いさま方にはご一読頂きたい

 

1.男女を問わず「子どものお迎え」は残業を断る至極真当な理由となる

アメリカに住んで間もない頃、子どもが通う学校から仕事中に電話がかかってきて、「あなたの子どもがスクールバスに乗り遅れてしまったので学校に向かえに来てほしい」、と言われた。渡米して2ヶ月もたたない頃で、妻はまだ車がなかったので、私がいくしかない。まだ16時くらいだったので、上司を10分くらい探して了解をとろうとすると、「学校から第一報を受けた時点で直ぐにオフィスを出発すべきだ、私への報告なんてテキストを後から送れば宜しい」と注意を受けた。あぁ、日本とは考え方が違うなぁ、という印象を受けたことを今でも覚えている。
午後に緊急の仕事が入ることは私の部署ではよくあるが、「今日は子どもの迎えがあり、今会社をでないと行けないので、家に帰ってからフォローさせて」というのはよくある夕方の会話で、上司も「あぁ、子どもの向かえ?じゃぁ仕方がないね、さあ行って行って」という感じ。アメリカでは「子どもの迎え」が突発的に(もちろん計画的にも)発生するのは家族を持つ人は誰もがあることなので、上司の理解もあるし、同僚同士で助けあおうという雰囲気もとても強い。ワーキングマザーが「子どもの迎え」を理由に残業を断り、肩身の狭い思いをするなんて雰囲気は微塵もない(というか、終業時間前でもそれを理由に帰っている人はかなり多い)男女に関係なく、家族第一という精神が根付いているので、とても働きやすい。

 

2.緊急の仕事が入っても、優先順位をつけて、17時には皆で帰社しようとする

私の部署は、経営管理部なので、経営陣から突発的な分析のリクエストが入ることがよくある。3年半のアメリカ生活で新たに得た語彙は勉強不足のため大変少ないが、”Fire Drill(文字通りの意味は火災非難訓練だが「緊急度の高いやっつけ仕事」という意味で使うことのほうが私は多い)”は数少ない中の一つ。「早朝の経営会議であがった事案を明日の朝までに提出!」というのはたまにある話で、”Fire Drill”に必要な人は会議室に招集され、目的、成果物のイメージが共有され、作業指示がとばされる。私の感覚だと、「あぁ、今日は会議が詰まっているから、残業確定だなぁ」という感じなのだが、アメリカの同僚たちはまずその日に入っている打ち合わせを翌日以降にずらすことから始める。指示をだしたマネージャーも「何か緊急度の高い他の作業や会議がある奴はいるか?」と必ず確認し、「そんなのは明日以降だな」、とか「その成果物の期限は今週末までにのばせるように私が調整するから」とか、緊急の案件にフォーカスできるよう協力してくれる。もちろん、それでも夜遅くまで対応しないといけないこともあるが突発的に入った仕事に対してマネージャーも含めてきちんと優先順位付けをして、定時以内に仕事を終わらせようと常にトライする姿勢をアメリカにきて学んだ

 

3.マネージャーが「Go home(早く帰れ)」というだけでなく、早く帰るためのヘルプをしてくれる

営業部署のトップの役員にレポートを送付しなければならなくて、ある晩一人でオフィスに残って仕事をしていた。レポートそのものは大体できあがっていたのだが、役員向けなのできちんとした英語でサマリーをメールの本文に書かなければならない。日本法人で働いていた頃は通じればよかったのだが、流石にアメリカ本社だと、きちんとした書き英語が求められ、私は未だに勉強不足で時間がかかる。そこに私より5倍以上忙しい私の部署のトップの役員が夜遅くまでかかった会議をようやく終え通りかかった。「まだ、やっているのか、あぁ、あのレポートだな、あとどれくらいかかる?」と聞かれた。正直1時間はかかるなぁと思っていたのだが、「後10分くらいで送れると思うので、先に帰っていて下さい」と答えた。「そうか、ちょっと資料を見せてみろ」と言って、私のまとめたレポートをざーっと読んで、「うん、よく出来ている」と一言残し、自分の部屋に入っていった。5分くらい後に、その役員が鞄を抱えて私の席に立ち寄り、「今、メールでサマリーをお前に送ったから、ちょっと開いてみろ」というので、メールをチェックすると美しい英語で書かれた完璧なレポートのサマリーがそこにはあるではないか。「内容を確認して、問題なければ、今すぐに送るんだ。俺はお前を待っているから直ぐにやってくれ」と言われたので、急いでコピペをして、レポートを添付して営業担当役員に送付をした。私が送付し終わるのを後ろで仁王立ちして確認をしたその役員は「さ、帰るぞ、お前はこれで俺が手伝わなければ22時までやる奴だからな」と言い、顎でエレベーターホールのほう指した。
アメリカでは遅くまで残業していると無能とみなされる、というのは良く聞く話ではあるが、私の肌感覚とは少し異なる。高い成果をあげるために一生懸命働くことは評価の対象となるし、ハードワークに対して感謝をされることも多い(もちろん、きちんとした成果が伴うことが前提だが)。が、ハードワークを奨励しつつも、家族との時間にも十分敬意を払い、本当に必要なことにフォーカスし、またそれをなるべく早く終えるためのサポートをマネージャーがきちんとしてくれるのが今のアメリカの職場の良いところだ。上から頼まれたことをそのまま下に投げるということも殆どなく、各階層で何が本当に必要なのかを判断する裁量の余地が日本よりも大きいように感じ、それも大事な要素だと思う。

 


私は「環境」が変わって、「働き方」が大いに変わった。私の経験を振り返るに、もちろん働く人個々人の意識も大事であるが、トップも含めた会社の上層部の意識が「職場環境」に大きな影響を与える。「働き方改革」を標榜しているが、進んでいないなぁ、と感じる方々は、上の人の意識改革がきちんと進んでいるか、まず確認することを強くお勧めしたい。


行きはよいよい帰りは怖い 帰米時に空港で「別室送り」になった話

アメリカでは不法移民を厳しく取り締まると豪語するトランプ氏が予想を覆して大統領になったが、合法移民の私の移民ばなしを本日は共有したい。

 

アメリカという国は出国をするのは非常に容易い。何度もアメリカ国外にでているが、未だにどこを通った時点でアメリカ出国となっているのか正直わからない。「気づかないうちに出国していた」というくらい出国は容易い一方で、入国は簡単ではない。自動化されているESTAとは異なり、VISAだと入国審査で質問を色々されて、一筋縄ではいかないことが多い。アメリカでは不法移民が1千万人を超え、社会問題となっているので、「出ていきたい奴はどんどん出ていってくれ、ただ簡単には入国させないぞ」という感じなのだろう。先日、インド・シンガポールに出張をしたのだが、帰米時に入国審査でひっかかり、あえなく「別室送り」になってしまったので、その際の話を共有したい。


現在VISAをL1BからL1Aというタイプに切り替え中で、状況が少しややこしいので、インド出張の前に、弁護士にどの書類を持っていったら良いのか相談をした。「君の場合は、i94しか今時点では持っていけるものがないので、i94を持っていって」との返答があった。i94というのは、アメリカへの出入国記録で、平たく言うと「どんなVISAでアメリカにいつ入国し、いつまで滞在ができるのか」ということが記載された用紙で、私は2017年7月までi94上は滞在できることになっていた。弁護士の確認もとれたので、i94をウェブからダウンロードして意気揚々と出張に出発することに。


2週間のインド・シンガポール出張を終えて、シンガポールから香港へ、香港からシカゴへという長旅をへて、無事アメリカに着陸。飛行機をおりて、いざ入国審査に。こればっかりは何度やっても緊張する。ESTAの列が早々にはけたのを横目に遅々として進まないVISAの列で本を読みながら自分の番を待つ。乗り継ぎの時間は3時間半あったので、トラブルがなければ時間に大きな心配はない。


ようやく私の番になり、パスポートとi94を入国審査官に見せる。「無事に通してくれ!」と心の中で祈るも、怪訝な顔をした入国審査官が「I129SかI797を見せてくれる?お前のVISAの滞在期限は2015年4月だから」とおっしゃるではありませんか。「いや、弁護士に確認をしたらi94だけで大丈夫って話だったんだけど」と返答するも、「I129SかI797がないなら、俺はお前を通せない、じゃぁあっちの部屋に行ってくれ」と別室を指差す。ひぃ、このままでは別室送りになってしまう。何とかi94で通れないかお願いするが、こういうモードになったらアメリカの役人は自分のポジションを変えることはまずない。あえなく恐怖の「別室送り」になってしまった。


大きな空港は色々な国籍の人がいる国際色豊かな場所である。その一画に位置するCustom Boarder and Protection、税関国境警備局の別室は同敷地内においても、より一層濃密な国際性を醸し出している。米国入国に何らかの問題のある人間が狭い密室に閉じ込められ、自分への処遇に不安を覚えながら一様に眉間をシワをよせて鎮座している様は、移民大国アメリカの縮図と言っても過言ではない。


席に座って待つように指示されたので、弁護士からのメールや追加の書類をパソコンを探していると、一人の職員がやってきた。


職員A「お前、何をやってるんだ(もちろん詰問調)?」


私「いや、必要な書類をさがしているんだけど」


職員A「今直ぐパソコンをしまえ、今直ぐにだ!」


そんな言い方しなくてもいいのにと渋々パソコンを鞄にしまう。仕方ないので、スマフォで調べようと電話を取り出すと、予想はされていたが再び「お前、何をやってるんだ?」とまた厳しい口調で言われるので、仕方なく無言で電話もしまうことに、、、。Kindleでも読もうかと思ったが、また怒られると嫌なので仕方なくしばらく席で待つことに。しばらくして、私の名前が呼ばれたのでカウンターに行く。


職員B「お前のパスポートのVISAの滞在期限は2015年だから、I129SかI797がなければ、お前は入国できない」


私「いや、今VISAの延長申請中で、出国前に弁護士に確認をしたら、今回はi94を持っていけって言われて、それで十分なはずだと言っていたんだけど、、、」


職員B「いいか、お前が入国できるのを決めることができるのは、お前の弁護士じゃない、この俺なんだ!


うひぃ、正しいけど、この高圧的な態度と置かれているピンチな状況で胃がきりきりと痛くなる。


私「じゃぁ、弁護士にちょっと電話で相談をしていいですか」


職員B「分かった、電話をして、直ぐにI129SかI797を送ってもらえ」


私「電話をここで使っていいですか」


職員B「電話をここで使わずに、一体全体どうやって弁護士に連絡をとるつもりなんだ、お前は?


さっき別の職員に電話を使うなときつく言われているから聞いただけなのに、、、。弁護士事務所に電話をし、何度かたらい回しにされつつも、何とか担当弁護士をつかまえることができ、事情を説明。立ちながらパソコンをひらいて色々弁護士と話をしていると、パソコンと電話の使用について先ほど私に厳重注意を下した職員Aが唖然とした顔で私を見ているではありませんか。


職員A「お前は、なぜここでパソコンをみて、なぜここで電話をしているんだ!!


職員Bはさっさといなくなってしまったので、何と説明したらよいのやら、、、。仕方ないので、


私「別の職員の方から、直ぐに"自分のパソコン"と"自分の電話"を使って、今直ぐ弁護士に電話をしなさい、って言われたんです」


と、嘘か誠かと言われたら、嘘と言われてもおかしくない回答をする。職員Aは不満げ、面倒臭げな面持ちで去っていった。米国入国に向けて前に進めば何でもよいのだ。そんなやりとりをしている傍らで、事情はよくわからないが一文無しなので入国できないと泣き崩れるメキシコ人女性がいたりして、カオス感が最高潮に達する「別室」なのでした。


結局、この後、弁護士が職員と直接話しをして、弁護士から追加の書類をメールで送付をしてもらうことになり、ようやく無罪放免になる。正直、弁護士が何の書類を送ったのか、そもそも本当に書類を送ったのかどうかは、私にはわからないが、、、。


なお、VISAについて、正直あまりに不勉強だったので、これを機会に少し勉強をした。どうも、私のパスポートに貼ってあるVISAは2018年が「有効期限」である反面、それとは別に記載される「滞在期限」は2015年4月となっていた模様(今まで、そこを突っ込まれることはあまりなかったのだが、、、)。私の会社が「滞在期限」の延長申請を提出しており、それが仮に承認されれば、延長申請に新しい「滞在期限」が記載され、その書類をI129Sというらしい。また、VISAが承認された場合に、新しい「滞在期限」を記載した私自身に発行される通知がI797Aらしい。

 

無事、入国できたからよかったが、「別室」は本当に二度といきたくない。乗り継ぎの空港というのは、ビールをパイントで楽しむ場所であるべきだ。トランプ大統領、どうかお手柔らかに。

グリーンカードから垣間見るインドのグローバリズム

アメリカに来てそろそろ3年になる。相変わらず英語力は今ひとつなものの、勤め先からは戦力とみなしてもらい、グリーンカード取得のための支援をもらっている。先日、私のチームメンバーと私自身のグリーンカード申請の状況を確認するために人事部と打ち合わせをした。そこで新たな発見があり、考えるところがあったので共有させて頂きたい。

人事によると、私はEB1種類のグリーンカードを取得しようとしている、とのこと。EB1の特徴は、1)マネージャー職も含め、専門性が高い人のみ取得可能であり2)労働市場テストが必要でなく、申請手続き・期間がそれほどかからない、という点にある。
労働市場テストというのは私も馴染みがない言葉であったが、平たく言うと「アメリカの労働市場で同様の人材が採用できるかどうか」をテストし、 実際に「採用ができなかった」なら、海外の人材にグリーンカードを付与しましょう、というもの。即ち、アメリカで採用できる人がいる場合は、自国の労働市場から人材を調達しなさい、だけれども、代替人材の採用ができなければ仕方がないよね、という考え方。この労働市場テストのために、実際に新聞に求人広告をだして、書類選考・採用面接までするので、時間とお金と手間が非常にかかる。私は、労働市場テストをスキップできるので、順調に行けば来年の後半にはグリーンカードが取得できるだろう、とのことだった。

一方で、私のチームメンバーはインド生まれのインド人であり、彼はマネージャ職にないため、EB2というグリーンカードを申請している。幸いなことに彼は既に労働市場テストはパスしているため、最後の申請を残すのみとなっている。私より先にグリーンカードの手続きをし始めている彼の取得タイミングは私と同様、並びに少し遅いくらいかと思っていたが、それがとんでもない思い違いであることをこの人事との打ち合わせで知ることになる。何と、インド生まれの彼は後10年は少なくとも待たないといけない、とのこと。

インド、中国、フィリピン、メキシコの4カ国は申請者が多いため、別枠が設けられており、個別の枠毎に毎年発行するグリーンカードに制限がある。中でもインド枠は、発行数に対して申請者が圧倒的に多いため、長蛇の列ができており、10年近く待たなくてはならないとのことであった(もちろん状況は刻々と変化するが)。

アメリカという国に移り住み、同じように永住権を申請しようとしているが、生まれた国の違いということをもって、10年も取得期間に差がでるという事実にショックを覚えた。その一方で、インドという国の人々の外にでようとする力の強さにも衝撃を覚えた。米国企業の現地採用社員として様々な国籍の人と働く機会があるが、インド人は中でもやはり集団として異才を放っている。よりよい仕事・生活環境を求めて、国境をものともせず、自身の成功に向けて邁進する彼らの力強さを日々体感しているが、永住権取得の行列の長さを数字で示されると得心するところが大きい。日本の中だけで仕事をしていた時は「インドが住みにくいから、みんな他の国に行きたがるんじゃないの?」という穿った内向きな見方しか多分できなかっただろう。でも今は、自分の根を張る地面を探し求め、国境を超えることを厭わず、成功に向けてチャレンジを続ける層の厚さ、これこそがインドという国のグローバリズムであり、国としての強さなのだと感じる。

海外に引っ越す方への贈り物

先日Facbookで元同僚から「アメリカに引っ越す時にもらって嬉しかった贈り物は何か?」という質問を受けた。頂いて正直困ったものもあれば、こちら での生活の一部として今なお活躍しているものもある。私自身の経験から、海外に引っ越す人へ贈り物を渡す際の考慮事項をあげてみたい。

1.本人が欲しいと思うものを船便・航空便の送付前に贈るのが一番
海 外での新しい生活は何かと物入りだし、大きな引っ越しを機会に新調したいものもあるので、やっぱり本人に何が欲しいのか聞くのが手堅いと思う。ただ、考慮 をしないといけないのは、贈り物は船便または航空便の送付前に購入し、渡すということだ。旅立ちの日のスーツケースには、どんなに小さなものでも入るス ペースはないと考えたほうが良い。荷物を送ってしまった後に「日本の味が恋しくなるでしょう」という感じでもらう食べ物は、恋しくなる前に日本で消化され ることことが殆ど。私は、料理が好きなので、中華鍋や牛刀を贈り物として船便発送前に頂き、今でもとても大切に使っている。人によって異なるので、船便、 航空便の発送タイミングは早めに確認をしておくことがとても大事だ。

2.船便・航空便発送後なら、荷物にならない身に付ける小物類が嬉しい
船 便・航空便を既に送ってしまったという場合は、小さな箸置きのようなものでも避けたほうが良い。手持ちのスーツケースの中は、引越し後船便が届くまでの 3−4週間を過ごすために必要不可欠なものを詰め込むので、品の良い贈り物を頂いてもあまり嬉しくないものだ。なので、モノをプレゼントする場合は、キー ホルダーとか、財布とか、 iPadケースとか、機内持ち込みを普通にできる身に付けるものが良いと思う。私は、キーホルダーやFitBitをもらったの だが、アメリカでの生活の一部となっており、とても重宝している。また、大きなスーツケースが必要だったので、リモアの80Lくらいのスーツケースもリク エストして頂いたが、こちらもとても嬉しい贈り物だった。

3. 間に合わなかった場合は、日本食材詰め合わせを後日発送
引っ 越しが2−3週間というのは、とても日本の味が恋しくなる。なので、無理に何か贈り物を頂くよりも、何気に住所が決まった後に、せんべいとか、塩昆布と か、出汁パックとか、そういう日本の味覚を送って頂くほうが嬉しい。住所は既に決まっている場合もだろうし、決まっていない場合でも1週間くらいで大体決 まるものなので、タイミングをみて住所を教えてもらい、日持ちする日本の食材を贈るのは良いアイデアだと思う。わが家の子どもたちが、アメリカに初めて送 られてきた塩昆布をもって狂喜乱舞していたのは、忘れられない引っ越し後のワンシーンだ。また、子どもがいる家庭への贈り物であれば、日本のキャラクター グッズは海外ではあまり手にはいらないので嬉しいと思う。

アメリカと日本の小学校の違い

日本語補習学校の生徒たちの作文集を正月休みに読んだ。夏休みの宿題であるため、日本に一時帰国をし、体験入学*1をした時に感じたことを書いている生徒が多い。特に物心つくころからアメリカに住み、日本に住みながら小学校に通ったことのない生徒は、色々新鮮な発見があったようで、多くの生徒がこのテーマを選んでいた。大変、興味深いのは、生徒たちがあげるアメリカと日本の小学校の違いが殆ど同じであったことだ。これは正に生徒の視点から見た日米の小学校の違いの決定版。本エントリーでは、必ずと言っていい程あげられていた違いを4点を紹介したい。


1.アメリカではスクールバスや車で通学をするが、日本では歩いて学校に行く
全校生徒が歩いて通学というのは驚きであったらしい。仲良しの友達と学校へ向かう途中でばったり会ったり、一緒に遊びながら下校をするのは楽しいもので、子供だけで登下校ができる日本の治安の良さは本当に素晴らしいものだと思う。アメリカでは、徒歩通学の生徒もいるが、スクールバスの利用者が一番多いように思う。なお、安全管理のためにスクールバス関連の運転規則は非常に厳格。わがNC州では、中央分離帯がない片側2車線の道路では、スクールバスが停まるとその間、対抗車線も含めて全ての車が停止しなければならない。子どもの安全管理について、国をあげて取り組んでいるのはアメリカの良い所と思う。

2.アメリカではお昼ごはんにお弁当をもっていくが、日本では給食がでる
当番の生徒がご飯やスープをよそい、全員で同じものを食べるというのは、アメリカでは考えられないことなので、驚いた生徒が多いようだ。わくわくしながら献立表を見たり、お好みのメニューに喜んだり、牛乳を飲んでいる友達を笑わせたり、給食にまつわる楽しい思い出は私もつきない。文化、人種、宗教が多様すぎるアメリカでは、全ての生徒が同じものを食べるのは難しいので、カフェテリアで何か買うか、お弁当を持っていくのが通常。が、カフェテリアのメニューは充実しておらず、ランチにクラッカーだけを持たせているような親も多いようだ。日本の給食制度は「食育」としての効果が高く、素晴らしい制度だと思う。

3.アメリカでは小学校にプールはないが、日本ではあり、体育で水泳ができる
「体育でプールがあるのがすごい」という視点は私には新鮮で面白かった。私自身、水泳が得意なほうではないが、ただ今泳ぐことができるのは間違いなくプールの授業の賜物であり、日本の教育制度に感謝をしている点だ。アメリカの小学校にプールがないのは、宗教や安全管理上の理由も大きいとは思うが、体育(アメリカではPhisical Educationを略してPEと呼ぶ)の授業への取組方の違いもあるように思う。アメリカの小学校ではPEは週に1-2回しかないし、教育というよりも「ま、体も動かさないと、、、」というトーンが強いように思う。多用な運動経験を積ませて、体力増進と基礎運動能力の向上をはかるというような日本の体育の視点はない。「食育」に加えて「体育」もアメリカにはもう少し必要だ。

4.アメリカでは教室の掃除も清掃員がするが、日本では生徒自らが教室を掃除する
私の子どもがアメリカの小学校で一番閉口しているのは、トイレやカフェテリアを他の児童がきれいに使わないこと、だという。カフェテリアは、時間をずらして入れ替え制で使うようなのだが、後半のほうになると、落ちた食べ物が散乱していて床がべたべただと聞く。カフェテリアをきれいに使わないのは、やはり自分で掃除をしないからだ。日本の小学校で掃除を体験した補習校の生徒たちの中で、掃除が面倒でいやだったと言っている子は一人もいなく、一様に「みんなで教室をきれいにして気持ちよかった」と言っている。下記の動画はFacebookでは20万以上の「いいね」を集めており、色々な国の方から絶賛されている。是非、生徒が掃除をするという制度は日本でずっと維持して欲しい。


Should kids clean their own classrooms? Japan thinks so.

*1:海外居住の子どもの短期的な入学を受け入れる日本の小中学校の制度

2015年に読んだお薦めの本

昨年は、日本語と英語合わせて70冊程の本を読んだ。アメリカに住む上での一つの課題は読書時間の確保にある。車で通勤するため、会社への移動時間を読書にあてることができない。が、出張で日本とアメリカの間を4往復ほどしたため、その移動時間を活用し、思った以上に本を読むことができた。その半面、読み応えのある本が少なく、小説やエッセイが中心の柔らかい読書となった。昨年、読んだ本の中から特に面白かった5冊を紹介したい。

 

『英語の害毒』

英語の害毒 (新潮新書)

英語の害毒 (新潮新書)

 

 タイトルは些か挑発的すぎ、一部極論も散見されるが、日本人の英語熱に少し冷めた視点で新たな見方を提供する良書である。

「仕事で通用する英語を身につけたい」と考えている人は一読に値する。「グローバル化の進行に伴い英語を身に付けることは必須となる」、「英語教育は読み書き中心ではなく、会話力を中心にすべきだ」、「英語はなるべく早くから勉強したほうが良い」、などの通説に疑問を呈している点が興味深い。

英語コンプレックスを持った人が溜飲を下げるためだけに本書を読むのは惜しい。英語コンプレックスの裏返しでしかない上記の通説に、自分なりの視点を持つための色々な材料を本書から得ることができるので、そういう読み方をして欲しい。

 

『ルーズヴェルト・ゲーム』

ルーズヴェルト・ゲーム (講談社文庫)

ルーズヴェルト・ゲーム (講談社文庫)

 

作者はドラマ『半沢直樹』の原作者の池井戸潤。筆者の作品は、テンポの良いビジネス小説が多く、出張の飛行機の中で酒を舐めながら読むのに調度良い。『半沢直樹』シリーズ4冊も含め10冊以上読んでしまったが、一番のお勧めはと聞かれたら『ルーズヴェルト・ゲーム』に軍配をあげる。

大手競合からの攻勢を受けて苦境にたつ中堅電子機器メーカーの青島製作所と、成績は鳴かず飛ばずで廃部寸前でさらなる苦境にたつ同社野球部の物語。展開がこてこてで少年漫画的ではあるが、ビジネスシーンの描写は生々しく、登場人物も組織にいかにもいそうなキャラクターが多く、臨場感が溢れ楽しい。流石、元銀行員でビジネスの現場を見てきただけはある。

弱小チームに才能あるピッチャーが加入し、快刀乱麻の活躍をするという古典的な野球漫画の要素も盛り込まれており、子供の頃、少年ジャンプなどを読んでいた中年ビジネスパーソンにはお薦めの一冊。

 

『我が家のヒミツ』

我が家のヒミツ

我が家のヒミツ

 

直木賞作家奥田英朗の短編小説集。『家日和』、『我が家の問題』に続く、家族のつながりをテーマにした短編集の3作目。池井戸潤同様、飛行機の中でぱらぱらと見るのに調度良く、奥田英朗も昨年は10冊以上読んだ。長編小説、エッセイも面白いものが多いが、私は奥田英朗なら断然短編小説をおす。

どこかにありそうなんだけれども新しい設定、シニカルながらもほのかに温かい登場人物たち、短いながらも読後に残る長い余韻、など秀逸さを放った作品が多く、これ以上の短編小説は私は久しく読んでいない。

出世競争に敗れた夫、妻に先立たれた父親、母親と離婚した父親に会いに行く娘、など短編毎に主人公のおかれる境遇は様々だが、ストーリー展開や登場人物の振る舞いは現代社会を色濃く反映しており、「今」ならではの家族愛を色々な形で表している。

 

『アルジャーノンに花束を〔新版〕』

アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)

アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)

 

 私の読書はビジネス書が中心でこういう所謂「名作」は普段はあまり読まない。昨年は消化に優しい現代小説を沢山読んだので、たまには格調の高い「名作」にもチャレンジしてみようと手にとって見た。確かに「名作」である。

知的障害を持つ主人公が脳手術を受けて、天才的な知性を手にし、その知性が故に起こる内面・外面の変化に人間の有り様がうまく投影されている。高い知性を手にし、それが故に周囲の人から敬遠され孤独になっていく主人公の姿は、「優しさ」の伴わない知性への警鐘というよりむしろ、人の「優しさ」の見えにくさ、現れにくさを表現しているように私は読んだ。

読み手の心を投影する鏡のような読後感を覚えたので、時間をおいて、またじっくり読んでみたい。


『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』

ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学

ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学

 

 昨年は数が少なかったこともあるが、ビジネス書は不作の年だった。その中で唯一人に勧めることができるのは『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』だ。これまたタイトルが売らんかなで、少し挑発的ではあるが、筆者は中立な立場で多様な経営についての思考軸を提供しようというフェアネスに溢れる方で好感が持てる。

「経営学者は経営に役立つ知見を提供するために研究をしているのではなく、企業・組織のメカニズムの真理を知りたいという自身の知的好奇心のために研究をしている」、という視座にたち、その経営学者たちの最先端の知が数多く紹介されている。
本書は実際の経営と最先端の知の橋渡しを目的としており、戦略論からCSR/ダイバーシティまでビジネスパーソンに参考になる経営学の研究成果がわかりやすく紹介されている。経営学の何たるかを理解しつつ、最先端の研究にふれることができるお薦めの一冊。

もしものための弁護士保険、 訴えられそうになったはなし

今勤める会社の福利厚生には健康保険や年金に追加して、弁護士保険なるものがある。これは任意加入なのだが、もし裁判沙汰になったりして、弁護士の支援が必要になった場合に、その弁護士費用が保険でカバーされるというもの。月に9ドル払わないといけないのだが、アメリカは訴訟大国というので、もしもの時の保険としては決して高くないので加入している。

「もしもの時」と言いながらも、実は今まで3度ほど利用している。交通違反の切符を夫婦で通算して3枚程頂いてしまい、裁判所に招集されること三度(私の州では小さな違反でも直ぐに裁判所行き)。折角保険を払っているので、今のところ全て弁護士にお願いをし、お陰で罰点のつかないように取り計らってもらい(アメリカでは罰点がつくと自動車保険料が跳ね上がる)、保険の恩恵にあずかっている。

 

そんな感じで違反切符でしか利用する機会しかなかった弁護士保険だが、先日、前の大家から「何ならでるところに出て決着つけようじゃないか!」と言われ、すったもんだあったので本日はその話を。

 

私は8月に米国で家を購入したのだが、住んでいた借家は11月更新の年間契約。途中解約するために2ヶ月分の家賃を大家に払わなければならなかった。が、幸いにも新しい借り主が早く見つかり、9月頭から入居することになったため、途中解約のために支払った一部の金額が私に返却されることに。9月の所定日までの家賃ということで、500ドル手にすることになる。

 

ところが、この新しい借り主がとんでもない野郎で、とにかく家に難癖をつけて家賃を値切ろうとしたり、そもそも支払わなかったりして大家と大揉めの日々。やれ電子レンジのドアのプラスチック部分に亀裂が入っているだとか、やれ庭のある場所がぬかるみがちで蚊の天国じゃないかだとか、家のドアが開きにくいとか、クレームのオンパレード。結局もめにもめて裁判所で前の大家と新しい借り主が決着をつけることに。前の大家から、以前住んでいた時はそれほど問題なかったなどのことが記載された念書にサインを求められ、渡米間もない私を親身に色々助けてもらった恩もあるので、内容を確認してサインをすることに。で、結局、新しい借り主は9月分の家賃の半分のみを支払って、強制退去するとの裁決が下ることになる。

 

当の裁判には私は念書にサインをする以外に何もしていないのだが、とんだとばっちりを受けることに。その裁判が終わったら、大家から「9月の家賃の半分しか払わなくてもよいとの裁決がくだり、相手が相手だけに回収の見込みもたたないので、$500を返して欲しい」との連絡を受ける。

腑に落ちる話であれば、すぐにでも返却してやるところだが、今ひとつ腑に落ちない。「9月の家賃の半額を相手が払う義務があるのであれば、それは君と今の借り主の間の問題であり、回収を初めから諦めて、こっちに返金を求めるのはおかしいのでは」とか、「そもそも借りる前に1ヶ月分のSecurity Depositを納めるはずなのだから、半月分の家賃はそこからとれるではないか」などと指摘をしたら、「裁判所が払えといった9月分の半分の家賃は9月後半に対するものであり、君に返した$500は9月前半分のものだから、全額返して欲しい」という強弁をふるう始末。「そんなもん、納得できるわけがないだろう」と突っぱねると以下のメールが送られてくる。

I understand that you were not convinced.  Instead of arguing, it may be better to ask the Court to decide whether you need to refund the rent $500. How about we file a case in the Small Claims Court? If the Judge or Magistrate decide you win, you do not have to pay anything, Small Claims Court does not require attorney. If the Judge or Magistrate decide I win, you can refund the $500 plus Court cost. After the Court decision, we can still be good friends with each other, no more argument. 

君が納得していないことはよくわかった。もうあれこれと議論するのはやめて、君が$500返金しないかいけないかどうか裁判で決着をつけたほうがいいと思うので、少額裁判所で裁判をするのはどうだろう。もし君が勝てば、何も払わなくてもいいし、少額裁判所に弁護士は必要ない。もし私が勝てば君は$500の返金にプラスをして裁判費用を払わなくてはならない。裁決がくだった後は、私と君は引き続き良い友だちでありつづけ、これ以上議論をするのも良そう。

 $500を争って裁判で戦い、引き続き良い友達でいようというのがポーズなのか、普通なのか理解に苦しむが、まぁ、とにかく「なんならでる所にでようではないか」と挑戦を受けることになる。

これには、私もはじめは「おっと、そうきたか」と正直少し躊躇をした。訴えられたことなどうまれてこのかた一度もないし、できることならそういう自体は避けたい。でも、前の大家は、私がアメリカでの生活に色々慣れていないことは知っているので、「訴えるぞ」と言えば、びびって返金をするだろう、と考えていることは容易に想像できる。

正義がこちらになければ、争いごとは避けるところだが、でも自分の心に問うても全額払う必要性は感じられない。こっちだって、渡米してそろそろ2年で、色々な経験を積んで、引き出しの数も増えてきているのだ、「舐められてたまるか」だ。しかも、イザという時のための弁護士保険で、こちらはプロの支援を受けられるのだ。で、ここは攻めようと出したメールが下記。

君がどうしても裁判所で決着をつけたいというならそれでも構わない。だけど、君が裁判所で、争うのは私ではなく、私の代理人の弁護士だ。私は会社の弁護士保険に加入をしているので、ネットワークの中の弁護士であれば、私は1円も払わず裁判の対応を依頼できる。君が私を訴えるのであれば、今回の件はプロの弁護士にお願いをすることにする。

$500をめぐって君と裁判で争うことは本意ではないが、君がどうしても訴えるというのであれば仕方ない。

 どんな反撃がくるかと、ドキドキしながら待ったが、連絡は一切来ない、、、。結構メールのレスポンスがいいやつなのに、ちっとも返信がないので、ここは一気に攻めようと電話をしてみることに。

 

私「もしもし、色々メールのやり取りをしてくれてありがとう」

 

大家「やぁ、、、」

 

私「裁判の件はメールでみたけど、私の返信は見てくれた?」

 

大家「、、、うぅ、いや忙しくて、まだ見れてないんだよね、、、」

 

私「(いや、どうも見ているっぽいなぁ)

     そうか、じゃぁ、電話で少し話をさせて欲しい。

     君が訴訟を起こしたいのなら、私はそれでも構わない。

     ただ、前もっていっておくが、私は弁護士をたてるから

     君が裁判所で話をするのは、私の代理人のプロの弁護士だ。

     メールにも書いたけど、弁護士費用は会社の福利厚生でカバーされるので、

     私は特に出費がないので、プロにお願いをしようと思っている、

     裁判所になんてできれば行きたくないというのがホンネだが、

     君が訴訟をおこしたいというのでれば、仕方がない」

 

大家「、、、」

 

沈黙が続くこと1分ほど。大家は困っているのか、何なのかわからないが、一言も発しない、、、。あまり自分から妥協案をだすのは、交渉上得策ではないが、いつまでもこんなことで揉めていても仕方ないので、こちらから妥協案をだすことに。

 

私「でも、色々お世話になった君と裁判所で争うことはできれば避けたい。

     で、一つ提案があるんだけど、半額の$250を返金するというのはどうだろう。

     そもそも9月に全額家賃が入っていることを互いに見込んでいたのに、

     残念ながら半分しかはいってこないことになってしまった。

     君と私は共通の被害者なんだから、損失を互いに分け合うなら、公平だと思う」

 

この私の提案を大家はほっとした感じで、受け入れてくれることに。

 

大家「それなら受け入れられるよ、そうしてくれるならありがたい。

     これで、ぼくたちは引き続き友達でいられる。」

 

お前、人のこと訴えようとしておきながら、引き続き友達って、、、という感じだが、まぁ根は良いやつなので、これで手を打つことに。実際に裁判というのも経験としては積んで見たい気もしたが、1年以上お世話になり、それなりに仲の良い大家とのもめ事を当事者同士で解決できず、裁判所に仲介をお願いするというのは、やはり私の好むところではない。たがいに、納得のできる妥協点に落ちつけてよかったと思う。

 

実際に自分が訴えられる日が来るなんて内心思っていなかったが、訴訟社会アメリカを実感することに。こんな感じで威嚇にも使えるので、弁護士保険という制度は何とも心強い。できることなら頼りになりたくはないが、引き続き加入しておこうとの思いを強くする。いやぁ、それにしても、色々おこるなぁ、、、。

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