Thoughts and Notes from CA

アメリカ西海岸の片隅から、所々の雑感、日々のあれこれ、読んだ本の感想を綴るブログ。

アメリカと日本の小学校の違い

日本語補習学校の生徒たちの作文集を正月休みに読んだ。夏休みの宿題であるため、日本に一時帰国をし、体験入学*1をした時に感じたことを書いている生徒が多い。特に物心つくころからアメリカに住み、日本に住みながら小学校に通ったことのない生徒は、色々新鮮な発見があったようで、多くの生徒がこのテーマを選んでいた。大変、興味深いのは、生徒たちがあげるアメリカと日本の小学校の違いが殆ど同じであったことだ。これは正に生徒の視点から見た日米の小学校の違いの決定版。本エントリーでは、必ずと言っていい程あげられていた違いを4点を紹介したい。


1.アメリカではスクールバスや車で通学をするが、日本では歩いて学校に行く
全校生徒が歩いて通学というのは驚きであったらしい。仲良しの友達と学校へ向かう途中でばったり会ったり、一緒に遊びながら下校をするのは楽しいもので、子供だけで登下校ができる日本の治安の良さは本当に素晴らしいものだと思う。アメリカでは、徒歩通学の生徒もいるが、スクールバスの利用者が一番多いように思う。なお、安全管理のためにスクールバス関連の運転規則は非常に厳格。わがNC州では、中央分離帯がない片側2車線の道路では、スクールバスが停まるとその間、対抗車線も含めて全ての車が停止しなければならない。子どもの安全管理について、国をあげて取り組んでいるのはアメリカの良い所と思う。

2.アメリカではお昼ごはんにお弁当をもっていくが、日本では給食がでる
当番の生徒がご飯やスープをよそい、全員で同じものを食べるというのは、アメリカでは考えられないことなので、驚いた生徒が多いようだ。わくわくしながら献立表を見たり、お好みのメニューに喜んだり、牛乳を飲んでいる友達を笑わせたり、給食にまつわる楽しい思い出は私もつきない。文化、人種、宗教が多様すぎるアメリカでは、全ての生徒が同じものを食べるのは難しいので、カフェテリアで何か買うか、お弁当を持っていくのが通常。が、カフェテリアのメニューは充実しておらず、ランチにクラッカーだけを持たせているような親も多いようだ。日本の給食制度は「食育」としての効果が高く、素晴らしい制度だと思う。

3.アメリカでは小学校にプールはないが、日本ではあり、体育で水泳ができる
「体育でプールがあるのがすごい」という視点は私には新鮮で面白かった。私自身、水泳が得意なほうではないが、ただ今泳ぐことができるのは間違いなくプールの授業の賜物であり、日本の教育制度に感謝をしている点だ。アメリカの小学校にプールがないのは、宗教や安全管理上の理由も大きいとは思うが、体育(アメリカではPhisical Educationを略してPEと呼ぶ)の授業への取組方の違いもあるように思う。アメリカの小学校ではPEは週に1-2回しかないし、教育というよりも「ま、体も動かさないと、、、」というトーンが強いように思う。多用な運動経験を積ませて、体力増進と基礎運動能力の向上をはかるというような日本の体育の視点はない。「食育」に加えて「体育」もアメリカにはもう少し必要だ。

4.アメリカでは教室の掃除も清掃員がするが、日本では生徒自らが教室を掃除する
私の子どもがアメリカの小学校で一番閉口しているのは、トイレやカフェテリアを他の児童がきれいに使わないこと、だという。カフェテリアは、時間をずらして入れ替え制で使うようなのだが、後半のほうになると、落ちた食べ物が散乱していて床がべたべただと聞く。カフェテリアをきれいに使わないのは、やはり自分で掃除をしないからだ。日本の小学校で掃除を体験した補習校の生徒たちの中で、掃除が面倒でいやだったと言っている子は一人もいなく、一様に「みんなで教室をきれいにして気持ちよかった」と言っている。下記の動画はFacebookでは20万以上の「いいね」を集めており、色々な国の方から絶賛されている。是非、生徒が掃除をするという制度は日本でずっと維持して欲しい。


Should kids clean their own classrooms? Japan thinks so.

*1:海外居住の子どもの短期的な入学を受け入れる日本の小中学校の制度

2015年に読んだお薦めの本

昨年は、日本語と英語合わせて70冊程の本を読んだ。アメリカに住む上での一つの課題は読書時間の確保にある。車で通勤するため、会社への移動時間を読書にあてることができない。が、出張で日本とアメリカの間を4往復ほどしたため、その移動時間を活用し、思った以上に本を読むことができた。その半面、読み応えのある本が少なく、小説やエッセイが中心の柔らかい読書となった。昨年、読んだ本の中から特に面白かった5冊を紹介したい。

 

『英語の害毒』

英語の害毒 (新潮新書)

英語の害毒 (新潮新書)

 

 タイトルは些か挑発的すぎ、一部極論も散見されるが、日本人の英語熱に少し冷めた視点で新たな見方を提供する良書である。

「仕事で通用する英語を身につけたい」と考えている人は一読に値する。「グローバル化の進行に伴い英語を身に付けることは必須となる」、「英語教育は読み書き中心ではなく、会話力を中心にすべきだ」、「英語はなるべく早くから勉強したほうが良い」、などの通説に疑問を呈している点が興味深い。

英語コンプレックスを持った人が溜飲を下げるためだけに本書を読むのは惜しい。英語コンプレックスの裏返しでしかない上記の通説に、自分なりの視点を持つための色々な材料を本書から得ることができるので、そういう読み方をして欲しい。

 

『ルーズヴェルト・ゲーム』

ルーズヴェルト・ゲーム (講談社文庫)

ルーズヴェルト・ゲーム (講談社文庫)

 

作者はドラマ『半沢直樹』の原作者の池井戸潤。筆者の作品は、テンポの良いビジネス小説が多く、出張の飛行機の中で酒を舐めながら読むのに調度良い。『半沢直樹』シリーズ4冊も含め10冊以上読んでしまったが、一番のお勧めはと聞かれたら『ルーズヴェルト・ゲーム』に軍配をあげる。

大手競合からの攻勢を受けて苦境にたつ中堅電子機器メーカーの青島製作所と、成績は鳴かず飛ばずで廃部寸前でさらなる苦境にたつ同社野球部の物語。展開がこてこてで少年漫画的ではあるが、ビジネスシーンの描写は生々しく、登場人物も組織にいかにもいそうなキャラクターが多く、臨場感が溢れ楽しい。流石、元銀行員でビジネスの現場を見てきただけはある。

弱小チームに才能あるピッチャーが加入し、快刀乱麻の活躍をするという古典的な野球漫画の要素も盛り込まれており、子供の頃、少年ジャンプなどを読んでいた中年ビジネスパーソンにはお薦めの一冊。

 

『我が家のヒミツ』

我が家のヒミツ

我が家のヒミツ

 

直木賞作家奥田英朗の短編小説集。『家日和』、『我が家の問題』に続く、家族のつながりをテーマにした短編集の3作目。池井戸潤同様、飛行機の中でぱらぱらと見るのに調度良く、奥田英朗も昨年は10冊以上読んだ。長編小説、エッセイも面白いものが多いが、私は奥田英朗なら断然短編小説をおす。

どこかにありそうなんだけれども新しい設定、シニカルながらもほのかに温かい登場人物たち、短いながらも読後に残る長い余韻、など秀逸さを放った作品が多く、これ以上の短編小説は私は久しく読んでいない。

出世競争に敗れた夫、妻に先立たれた父親、母親と離婚した父親に会いに行く娘、など短編毎に主人公のおかれる境遇は様々だが、ストーリー展開や登場人物の振る舞いは現代社会を色濃く反映しており、「今」ならではの家族愛を色々な形で表している。

 

『アルジャーノンに花束を〔新版〕』

アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)

アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)

 

 私の読書はビジネス書が中心でこういう所謂「名作」は普段はあまり読まない。昨年は消化に優しい現代小説を沢山読んだので、たまには格調の高い「名作」にもチャレンジしてみようと手にとって見た。確かに「名作」である。

知的障害を持つ主人公が脳手術を受けて、天才的な知性を手にし、その知性が故に起こる内面・外面の変化に人間の有り様がうまく投影されている。高い知性を手にし、それが故に周囲の人から敬遠され孤独になっていく主人公の姿は、「優しさ」の伴わない知性への警鐘というよりむしろ、人の「優しさ」の見えにくさ、現れにくさを表現しているように私は読んだ。

読み手の心を投影する鏡のような読後感を覚えたので、時間をおいて、またじっくり読んでみたい。


『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』

ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学

ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学

 

 昨年は数が少なかったこともあるが、ビジネス書は不作の年だった。その中で唯一人に勧めることができるのは『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』だ。これまたタイトルが売らんかなで、少し挑発的ではあるが、筆者は中立な立場で多様な経営についての思考軸を提供しようというフェアネスに溢れる方で好感が持てる。

「経営学者は経営に役立つ知見を提供するために研究をしているのではなく、企業・組織のメカニズムの真理を知りたいという自身の知的好奇心のために研究をしている」、という視座にたち、その経営学者たちの最先端の知が数多く紹介されている。
本書は実際の経営と最先端の知の橋渡しを目的としており、戦略論からCSR/ダイバーシティまでビジネスパーソンに参考になる経営学の研究成果がわかりやすく紹介されている。経営学の何たるかを理解しつつ、最先端の研究にふれることができるお薦めの一冊。

もしものための弁護士保険、 訴えられそうになったはなし

今勤める会社の福利厚生には健康保険や年金に追加して、弁護士保険なるものがある。これは任意加入なのだが、もし裁判沙汰になったりして、弁護士の支援が必要になった場合に、その弁護士費用が保険でカバーされるというもの。月に9ドル払わないといけないのだが、アメリカは訴訟大国というので、もしもの時の保険としては決して高くないので加入している。

「もしもの時」と言いながらも、実は今まで3度ほど利用している。交通違反の切符を夫婦で通算して3枚程頂いてしまい、裁判所に招集されること三度(私の州では小さな違反でも直ぐに裁判所行き)。折角保険を払っているので、今のところ全て弁護士にお願いをし、お陰で罰点のつかないように取り計らってもらい(アメリカでは罰点がつくと自動車保険料が跳ね上がる)、保険の恩恵にあずかっている。

 

そんな感じで違反切符でしか利用する機会しかなかった弁護士保険だが、先日、前の大家から「何ならでるところに出て決着つけようじゃないか!」と言われ、すったもんだあったので本日はその話を。

 

私は8月に米国で家を購入したのだが、住んでいた借家は11月更新の年間契約。途中解約するために2ヶ月分の家賃を大家に払わなければならなかった。が、幸いにも新しい借り主が早く見つかり、9月頭から入居することになったため、途中解約のために支払った一部の金額が私に返却されることに。9月の所定日までの家賃ということで、500ドル手にすることになる。

 

ところが、この新しい借り主がとんでもない野郎で、とにかく家に難癖をつけて家賃を値切ろうとしたり、そもそも支払わなかったりして大家と大揉めの日々。やれ電子レンジのドアのプラスチック部分に亀裂が入っているだとか、やれ庭のある場所がぬかるみがちで蚊の天国じゃないかだとか、家のドアが開きにくいとか、クレームのオンパレード。結局もめにもめて裁判所で前の大家と新しい借り主が決着をつけることに。前の大家から、以前住んでいた時はそれほど問題なかったなどのことが記載された念書にサインを求められ、渡米間もない私を親身に色々助けてもらった恩もあるので、内容を確認してサインをすることに。で、結局、新しい借り主は9月分の家賃の半分のみを支払って、強制退去するとの裁決が下ることになる。

 

当の裁判には私は念書にサインをする以外に何もしていないのだが、とんだとばっちりを受けることに。その裁判が終わったら、大家から「9月の家賃の半分しか払わなくてもよいとの裁決がくだり、相手が相手だけに回収の見込みもたたないので、$500を返して欲しい」との連絡を受ける。

腑に落ちる話であれば、すぐにでも返却してやるところだが、今ひとつ腑に落ちない。「9月の家賃の半額を相手が払う義務があるのであれば、それは君と今の借り主の間の問題であり、回収を初めから諦めて、こっちに返金を求めるのはおかしいのでは」とか、「そもそも借りる前に1ヶ月分のSecurity Depositを納めるはずなのだから、半月分の家賃はそこからとれるではないか」などと指摘をしたら、「裁判所が払えといった9月分の半分の家賃は9月後半に対するものであり、君に返した$500は9月前半分のものだから、全額返して欲しい」という強弁をふるう始末。「そんなもん、納得できるわけがないだろう」と突っぱねると以下のメールが送られてくる。

I understand that you were not convinced.  Instead of arguing, it may be better to ask the Court to decide whether you need to refund the rent $500. How about we file a case in the Small Claims Court? If the Judge or Magistrate decide you win, you do not have to pay anything, Small Claims Court does not require attorney. If the Judge or Magistrate decide I win, you can refund the $500 plus Court cost. After the Court decision, we can still be good friends with each other, no more argument. 

君が納得していないことはよくわかった。もうあれこれと議論するのはやめて、君が$500返金しないかいけないかどうか裁判で決着をつけたほうがいいと思うので、少額裁判所で裁判をするのはどうだろう。もし君が勝てば、何も払わなくてもいいし、少額裁判所に弁護士は必要ない。もし私が勝てば君は$500の返金にプラスをして裁判費用を払わなくてはならない。裁決がくだった後は、私と君は引き続き良い友だちでありつづけ、これ以上議論をするのも良そう。

 $500を争って裁判で戦い、引き続き良い友達でいようというのがポーズなのか、普通なのか理解に苦しむが、まぁ、とにかく「なんならでる所にでようではないか」と挑戦を受けることになる。

これには、私もはじめは「おっと、そうきたか」と正直少し躊躇をした。訴えられたことなどうまれてこのかた一度もないし、できることならそういう自体は避けたい。でも、前の大家は、私がアメリカでの生活に色々慣れていないことは知っているので、「訴えるぞ」と言えば、びびって返金をするだろう、と考えていることは容易に想像できる。

正義がこちらになければ、争いごとは避けるところだが、でも自分の心に問うても全額払う必要性は感じられない。こっちだって、渡米してそろそろ2年で、色々な経験を積んで、引き出しの数も増えてきているのだ、「舐められてたまるか」だ。しかも、イザという時のための弁護士保険で、こちらはプロの支援を受けられるのだ。で、ここは攻めようと出したメールが下記。

君がどうしても裁判所で決着をつけたいというならそれでも構わない。だけど、君が裁判所で、争うのは私ではなく、私の代理人の弁護士だ。私は会社の弁護士保険に加入をしているので、ネットワークの中の弁護士であれば、私は1円も払わず裁判の対応を依頼できる。君が私を訴えるのであれば、今回の件はプロの弁護士にお願いをすることにする。

$500をめぐって君と裁判で争うことは本意ではないが、君がどうしても訴えるというのであれば仕方ない。

 どんな反撃がくるかと、ドキドキしながら待ったが、連絡は一切来ない、、、。結構メールのレスポンスがいいやつなのに、ちっとも返信がないので、ここは一気に攻めようと電話をしてみることに。

 

私「もしもし、色々メールのやり取りをしてくれてありがとう」

 

大家「やぁ、、、」

 

私「裁判の件はメールでみたけど、私の返信は見てくれた?」

 

大家「、、、うぅ、いや忙しくて、まだ見れてないんだよね、、、」

 

私「(いや、どうも見ているっぽいなぁ)

     そうか、じゃぁ、電話で少し話をさせて欲しい。

     君が訴訟を起こしたいのなら、私はそれでも構わない。

     ただ、前もっていっておくが、私は弁護士をたてるから

     君が裁判所で話をするのは、私の代理人のプロの弁護士だ。

     メールにも書いたけど、弁護士費用は会社の福利厚生でカバーされるので、

     私は特に出費がないので、プロにお願いをしようと思っている、

     裁判所になんてできれば行きたくないというのがホンネだが、

     君が訴訟をおこしたいというのでれば、仕方がない」

 

大家「、、、」

 

沈黙が続くこと1分ほど。大家は困っているのか、何なのかわからないが、一言も発しない、、、。あまり自分から妥協案をだすのは、交渉上得策ではないが、いつまでもこんなことで揉めていても仕方ないので、こちらから妥協案をだすことに。

 

私「でも、色々お世話になった君と裁判所で争うことはできれば避けたい。

     で、一つ提案があるんだけど、半額の$250を返金するというのはどうだろう。

     そもそも9月に全額家賃が入っていることを互いに見込んでいたのに、

     残念ながら半分しかはいってこないことになってしまった。

     君と私は共通の被害者なんだから、損失を互いに分け合うなら、公平だと思う」

 

この私の提案を大家はほっとした感じで、受け入れてくれることに。

 

大家「それなら受け入れられるよ、そうしてくれるならありがたい。

     これで、ぼくたちは引き続き友達でいられる。」

 

お前、人のこと訴えようとしておきながら、引き続き友達って、、、という感じだが、まぁ根は良いやつなので、これで手を打つことに。実際に裁判というのも経験としては積んで見たい気もしたが、1年以上お世話になり、それなりに仲の良い大家とのもめ事を当事者同士で解決できず、裁判所に仲介をお願いするというのは、やはり私の好むところではない。たがいに、納得のできる妥協点に落ちつけてよかったと思う。

 

実際に自分が訴えられる日が来るなんて内心思っていなかったが、訴訟社会アメリカを実感することに。こんな感じで威嚇にも使えるので、弁護士保険という制度は何とも心強い。できることなら頼りになりたくはないが、引き続き加入しておこうとの思いを強くする。いやぁ、それにしても、色々おこるなぁ、、、。

アメリカの金曜日のはなし

"Thank God, It's Friday"というのは目前に迎えた週末を祝う慣用句。日本の職場ではあまり、月曜日から木曜日までの平日と金曜日の差を感じないが、ここアメリカでは金曜日はオフィスの雰囲気がかなり違う。「えっ!?」と面食らうことがしばしばあるので、今回はその「えっ!?」を共有してみたい。

 

そもそもオフィスに来ない人が結構いる

金曜日は明らかにオフィスに人が少ない。数えたわけではないので実数はわからないが、平日の2割減くらいであることは間違いない。オフィスが広いので単なる勘違いかとも思ったのだが、駐車場とフリードリンクの動向を見る限り間違いなさそうだ。

私の勤める会社は19階建ての自社ビルを持ち、2階から7階は駐車スペースとなっている。どの階に停めても、必ず1階に降りて8階より上にあるオフィススペースにあがる構造になっているので、当然車は下の階からうまっていく。なので、何時に出社するかで何階に止めることができるかが決まってくる。8時に出社すると3階でも結構がらがら、8時30分だと3階はほぼうまっていて4階まで行かないといけない、9時をすぎると5階までいかないと駐車できない、というのが月曜日から木曜日の話。が、金曜日だけは9時くらいに行っても結構3階に駐車をすることができる、、、。これはオフィスに来ている人が少ないことにほかならない。

また、オフィスには各階にブレークルームがあり、そこに大きな冷蔵庫があり、缶のコーラ、ドクターペッパー、マウンテン・デュー(ソーダはそれぞれ普通のものとダイエットの2種類)、それと無糖の炭酸水が毎日同じ量だけおいてある。健康への意識の表れか、無糖の炭酸水が結構人気で、午後4時を過ぎると全て飲まれてしまい、炭酸水の場所だけがすっからかんになってしまう、月曜日から木曜日までは。が、金曜日となると夕方の6時になってもまだ結構な量の炭酸水が冷蔵庫に鎮座している、、、。やっぱり、来ている人が少ないとみて間違いない、、、。

もちろん、週末と重ねて休みをとっている人もいないわけではないが、殆どは金曜日はWAH(Work at home)という人たちと思われる。

 

15時くらいから人が帰り始める

"Have a good weekend!"とにこやかに金曜日の午後にオフィスを去る同僚たち。時計を見るとまた15時、、、「えっ!?もう帰るの?」という感じだが、金曜日は皆さん帰るのが本当に早い。15時くらいからぱらぱらと人が帰りはじめ、、18時とかになると本当に殆ど人がいない。定時は9時ー18時だと思うのだが、、、。
とある金曜日の午後に会議の通知を受けたことがあり、通知についていたコメントが「Sorry for the late Friday afternoon meeting.(金曜日の午後遅くの会議で申し訳ない)」。急を要するプロジェクトだったので、週末も仕方なしくらいの気持ちでいたが、会議の開始終了時間は15時30分から16時30分。心遣いや配慮は大事ではあるが、別に謝らなくてもいいんじゃないか、、、。終わるの定時の1時間30分前だし。

 

「毎週」金曜日17時まで働くなんて考えられない

私の部署は月曜日の経営会議に備えて、毎週金曜日に各営業部署のフォーキャストをとりまとめるのも役割の一つ。皆、15時くらいに提出してくれるとよいのだが、結構17時までずれこむこともあるし、18時になってしまう時もたまにある(なお、同じ会社の日本法人でやっていた時は土曜日中に提出で、日曜日に1時間ほどかけてとりまとめをしていた)。

そのとりまとめを今までやっていた担当が辞めてしまうことになり、チームの中で誰かがその役割を引き継がなければならない。そうなった際にチームメンバーのアメリカ人が「ちょっと、話したいことがあるんだけど、、、」と相談をしてきた。深刻な顔をしているので、どうしたのだろう、と思って話を聞いてみると、要するに「毎週金曜日の17時-18時に必ず作業の発生するその仕事は絶対にやりたくない」とのこと。

色々「しばらくの間はみんなで持ち回りになるのは構わないけど、、、」、「もちろんチームのために協力はするんだけど、、、」、「毎週でなければもちろん協力したいのだが、、、」というのだが、たまに本音がぽろっともれて「金曜日の17時-18時まで必ず毎週仕事があるのなら、その一点をだけをもって、その仕事には自分はつかないだろう」みたいなことまで言う始末。

「毎週末必ず作業が発生するなら、その仕事はやだ」ならわかるのだが、殆どのケース17時で終わる仕事をそこまで嫌がるんだぁ、と文化の違いを痛感することに。

 

金曜日でも18時から18時30分くらいまでは大体働いている私は、「あいつはWork Life Balanceは大丈夫なのか、、、」と一部の同僚から心配されているみたいだし、ハードワーカーで名高い日本人がマネージャになってしまい戦々恐々としているメンバーもいるみたいだが、私自身は十分にバランスをとっているし、文化の違いを理解して無理難題を言わないようにするのでご心配なく、と強調したい、、、。

 

 

 

アメリカではやっぱり「言わない者負け」、というはなし

先日、引越しをして、インターネットのプロバイダの住所変更の手続きをした私。早速新しい住所に請求書が届いたので中身を見てみると、今月の請求が$83となっている。先月までの請求は$64。内訳を見てみると回線の使用料が$73で、モデムの使用料が$10となっている。今まで請求されていないモデム料金が課金されるだけでなく、速度は変わらないのに値段が$64から$73に$10ほど上がっているので、しぶしぶながらカスタマーサービスに連絡をすることにした。

カスタマーサービスの電話対応はあまり心地良いものではない。電話をかけると回線が一杯です、とか音声が流れて15分くらい待たされることになるし、おまけに面倒な客と思われると別の担当者に何の引き継ぎもなくたらい回しにされることが多い。
電話対応のところが多いが、私の契約しているプロバイダーは、ブラウザからチャットを使って問い合わせをすることができる。これが中々レスポンスも良いので今回の件を問い合わせることにした。

私「引っ越す前は月々の請求は$64だったのに、急に請求が$83にあがったのだけど、何かの間違いではないでしょうか。確認お願いします。」

Dale 「こんにちは、大変おまたせしております。ご懸念の点につきまして、貴重な時間を頂戴しありがとうございます。すぐに確認しますので、今しばらくお待ち下さい」

問い合わせた2秒後くらいに直ぐにレスポンスがきて、しかも大変丁寧な対応。これは期待できるかも。

私 「Daleさん、素早い対応ありがとうございます!」

とすかさず返信をする。カスタマーサービスは、毎日クレームやら意味不明な問い合わせを山のように受けるタフな仕事なので、色々物事をスムーズに進めるためには、こちらも優しく、敬意をもって接するのが大事。名前を直接呼びかけるのも親しみをこめる意味ではとても良い。何十回もやりとりしているので、この手の小技も大分駆使できるようになってきた。

そして、相手の確認作業を待つこと1分程。予想もしなかった驚きのメッセージを受けることになる。

Dale 「大変お待たせしております。ただいま、お客様の月額料金を$49に変更させて頂きました。今後、12ヶ月間のみのプランとなります。ご確認宜しくお願い致します。左上の封筒マークをクリックするとこのチャットをお客様のメールアドレスに送信頂けます。」

えっ!?何かよくわからないけどいきなり値段が下がった。普通、「調査した結果、こういう間違いがありました、申し訳ありません、正しい価格の$64に修正させて頂きました」とか、事情の説明があるだろう。
それをえっ!、説明をすっとばして、いきなり値段だけが今まで以上にガツッと下がり、しかも問い合わせのクローズモードに入っている、、、。事態がよく飲み込めない中、「下がったし、これ以上突っ込むのも面倒だからいいか」という気持ちと「いや、後々のこともあるからもう少し把握したい」という気持ちの間で揺れ動いたが、後者が若干勝り、何とか質問をタイピングすることに。

私 「えーと、何か間違っていたの?」

Dale 「お客様に適用されていたプロモーション期間が終了したための価格上昇であったようです。私が新しいプロモーションを適用させて頂き、新しい価格は$49でございます」

文字からひしひしと伝わってくるドヤ顔感。。。が、以前プロモーションを適用してもらった記憶もないし、そもそも下り15mbpsで$83とかありえないし(まぁ$64も日本の感覚ではめちゃくちゃ高いが、、、)、納得がいかないことが多い。。。
ここで、「来年のプロモーションが切れる頃、もう一度問い合わせればいいことだから、まぁいいか」という気持ちと「いや、もう少し白黒はっきりさせたい」という気持ちで揺れ動くことになる。が、今度は「まぁいいか、、、面倒くさいし、、、」という前者の気持ちが後者を寄り切ることに

私 「わかりました、対応どうもありがとう」

Dale 「他に本日何かお手伝いできることはありませんでしょうか」

私 「いや、特にないです」

Dale 「それでは、本日は貴重がお時間を頂きありがとうございました。」


結局、突っ込んで聞かなかったので真相はわからないのだが、単なる値上げであり、問い合わせをしてきた顧客にだけ対応をしようという作戦なのではないだろうか。もうちょっと突っ込んで聞いても良かったけど、全方位に日本の感覚を適用していると疲れるので、引き際もある程度は大事かと、、、。
それにしても、ちょっと問い合わせをしただけで月額$34も値下げになるというのはどういうことだろうか、、、。「言った者勝ち」というより「言わない者負け」というアメリカ社会の現実に幾度となく直面して、鍛えられてきたが、今回の経験で思いを強くすることになる。言って、言って、言いまくって、負けないように頑張ろう、、、。疲れる社会だ、、、。

アメリカで住宅ローンを組んだらやっぱり大変だったはなし

今月の頭にアメリカに家を購入した私。当然、現金でポンっと買うような資金力はないので、住宅ローン(いわゆる英語で言うところのMortgage)を組んだわけだが、案の定手続きで四苦八苦する羽目に。今回はその経験を共有したい。

 

アメリカで住宅ローンを借りる場合、銀行から直接借りる方法とブローカー(仲介人)を通して銀行から借りる方法のいずれかが選択できる。Wikipediaで調べたところによるとアメリカの住宅ローン市場では、68%のローンはブローカーを経由するようで、銀行直接よりも主流らしい。不動産屋から中国人のTony(中国人は大体アメリカ式の名前を本名とは別にもつ)というブローカーを紹介されたのだが、どうしても「ブローカー=仲介業者=マージン沢山とる」というイメージがあり、ブローカー職の胡散臭さが拭いきれない私。

思い返せば、私がMortgage Brokerという言葉に初めて出会ったのは高校受験の時で、その難解な単語はZ会(古い?)の英語の文章題に出現した。住宅ローンなんて世界と縁遠かった高校生には今ひとつ何のことかわからず、先生から「いわゆる住宅ローンの仲介業者だよ」という説明になってないような説明を受けて「ふ〜ん(さっぱりわからん、、、)」と感じた記憶がある。「Mortgage Broker=謎で少し胡散臭い」という等式はきっと高校受験の時に確立されたのだ。

 

私はアメリカでWells Fargoという大手の銀行に口座を持っている。この銀行は素晴らしい銀行だ。どんなに些細なことを相談をしても、行員がいつも親身になって懇切丁寧に対応してくれる。人出をかけないオンラインバンクとかのほうが利率はいくばくかよいかもしれないが、慣れない異国では、雀の涙ほどのわずかな利率の違いよりも、親身になってサポートしてくれる人の存在のほうが大事だと思う。渡米当時にオンラインバンクの口座登録でひどい目にあって(その話は別途、、、)以降、私はすっかりWells Fargoのファンになってしまった。住宅ローンは、心の奥底で胡散臭いイメージが拭いきれないブローカーよりも、Wells Fargoで借りれたらいいなぁ、と検討当初から思っていた、というか決めていたのだ。きっと。

 

購入する家がいよいよ決まり、頭金の金作も何とかでき、住宅ローンを組む具体的な手続きを始めたのは6月15日。売買契約の実行日が8月6日で、その日に銀行から売主に家の代金を払ってもらわなければならない。なお、7月4日から7月26日まで日本に一時帰国することになっていたので、時間に余裕が殆どない。

複数の銀行やブローカーから相見積をとり、お目当てのWells Fargoからも他と遜色ない利率や条件が提示された。担当のDavidも非常に優秀で、借りる側の立場になって裏技も含めて一番、金利負担が少なくなる方法を色々教えてくれ、信頼できる人だったので、Wells Fargoで住宅ローンを組むことに晴れて決定した。

 

事前審査も通り、6月19日から実際の手続きに入ることになったのだが、それなりのお金を借りることになるので、当然山のように書類を提出しないといけない。慣れない英語の銀行用語と格闘しつつ、7月4日の一時帰国まで、事務手続きの窓口となるPhillis女史というMortgage Associateに、確定申告の書類群、不動産の売買契約書、個別の自作の書類まで、山のような書類を用意作成し、サインし、スキャンし、送付することを繰り返すことに。求められた書類を何とか全て用意し、「他に提出する書類があったら直ぐに教えて」と書いたメールにも特に返信はなく、安堵感と共に日本に旅立つこととなった、、、。

 

日本に一時帰国している際中も、手続きは順調に進んでいるのか少し気になっていたのだが、あれやこれやと帰国中は忙しく、仕事でバタバタして帰国の日も7月26日から29日に延期になってしまったりして、十分な確認とフォローができずにいた。帰米直前の7月28日にDavidに「特に連絡がないけど、何か追加で対応しないことがあれば、直ぐに連絡頂戴」とメールを送ると、直ぐに「何かあればHome Loan ProsessorのSylviaから連絡するから」という返信がきた。「あれ?書類関係はPhillisじゃないの?」と一瞬不安がよぎる。アメリカは大体担当が変わると担当間での引継ぎが十分ではなく、逆戻りすることが往々にしてあるからだ。

 

帰米のトランジットの空港でSylvia女史から「以下の4つの書類がないから至急送って欲しい」というメールが届き、不幸なことに私の予想が的中することに。ちなみに、そのうちの2つは既にPhillis女史に提出済みのはず、、、。他の二つについては、一つは初めてみるサインだけすれば良い書類、もう一つが”Home Owner Insuranceの会社の担当のコンタクト先”というもの。こいつが何のことか全くわからず、電話して聞いてみると、どうやら、日本で火災保険や地震保険に入るように、アメリカでもローンを組む際には家に保険をかけないといけないようで、その保険会社の担当の連絡先を提出せよ、とのこと。連絡先も何も全く手続きをしておらず、言われてみればそうだけど、「もっと早く言ってよ、、、」って感じ。泣き言を言っても仕方ないので、複数の保険会社から直ぐに見積をとり、何とか7月31日(金)に手続きを完了させた。

 

保険の手続きをやっつけると息をつく間もなく、Sylvia女史から週開けの8月3日(月)の夕方に、追加で5つの書類が必要だから提出するように、とメールが届く。必要な書類は、日本の保有不動産の保険証書、ローン完済証明書、所得税納付書、管理費の証憑、そして今回購入する不動産の契約書。「8月6日(木)が契約日なんですけど、それを今言う?しかも、不動産の契約書なんて6月に出してるんですけど、、、」って感じだが、文句を言っている暇なんてないので、とにかくスキャンしてがしがし書類を送りまくる。

 

Sylvia女史だけだと今ひとつ不安なので、8月4日(火)朝にDavidに電話をして「8月6日(木)を前にして、何かここにきて大分前に出した書類に山のように物言いがついてんだけど、助けて」とヘルプを頼む。そして「日本の保有不動産の書類なんて日本語しかないよ」って付け加えると、案の上「英語版ない?ないと翻訳に回さないといけなくて、すっげー時間かかるんだけど」と突っ込まれるがそんなものあるわけがない。。。ないものはないので、「ない」と答えると「わかった、何とか頑張る」とDavid。君だけが頼りだ。

 

再提出を求められた今回購入する不動産の契約書のほうにも、やれここにイニシャルがないとか、サインが不明瞭とか、山のように物言いがつく。契約書に原本という概念はなく、相手がサインしたものがこちらにPDFで送られてきて、それを印刷して、こちらがサインをして、スキャンをして、メールでPDFを送付というのがアメリカ式の用で、売主もがっつり巻き込んで往復書簡を繰り返すことに。

そうこうしているうちに、Davidからまたまた電話がきて、「8月6日(木)の弁護士事務所でのアポは何時から?できる限り後ろに延ばして!」と依頼がはいる。土俵際いっぱい感が漂う。まぁ、言われる前から当初朝11時だったものを、マックス後ろの16時に変更していたが、、、。

 

上記以外にも6月提出済みの確定申告の書類などの再提出を求められながら、8月5日(水)夕方にはようやく全ての書類を送り終える。Sylvia女史からは「これが最後だから」と言われたが、今ひとつ確信がもてない。。。でも、やることはやったので後は待つしかない。成約の日にローンの手続きが間に合わなかったらやっぱり違約金とか払わないといけないのかしら、と思い、契約書を見ようと思ったが、もうじたばたしても仕方ないので、銀行からの知らせを待つことに、、、。

 

日本に一時帰国していたこともあり、アメリカでの仕事もたまりにたまっており、仕事も多忙を極めるが、契約日の8月6日(木)は朝から手続きが無事終わるのか、落ち着かない時間を過ごすことに。Davidからは「昨晩には手続きは全て終わったので大丈夫だ」と早朝にメールがきたが、弁護士事務所からは「いや、銀行からは何も連絡ないよ」というつれない連絡がきて、気が気ではない。が、13時頃にようやく、弁護士事務所からOKの連絡がはいり、無事16時からの最終手続きに進めることになる。まぁ、会社で期末のぎりぎりまで案件を追いかけるのに慣れているので、いつも通りと言えばいつも通りではあったが、際どい勝負を何とかものにすることができた。

 

無事、予定どおりの日付に契約を終えることができ、新しい家を手にすることに。銀行と売主の間に立ち、手続きのスピードアップに駆けまわってくれた不動産屋とがっちり握手をした際に、皮肉交じりに言われたのは「銀行と直接やるからこういうことになるんだ、ブローカーを通せばもっと楽なのに、、、」ということ。「えぇ!?そうなの???」という感じ。後から色々調べてみると、ブローカーは面倒な銀行との手続きをかなり引き受けてやってくれるようで、手続きもブローカー経由ならもっと楽だったらしい。早く言ってよ、、、という感じだが、私の調査不足なので仕方ないし、今回の経験を通してアメリカでの生活力がまたあがった気がするので、よしとしたい。

 

以上、アメリカで住宅ローンを組んだらやっぱり大変だったという話でした。続く。

【急がば回れ】中長期的なキャリアアップのために“短期的なキャリアダウン”を受け入れる勇気

 リクナビネクストジャーナルさんに寄稿させていただきました。「中長期的にキャリアップを重ねていくには、短期的なキャリアダウンを勇気をもって受け入れ、地力を養うことが大事」、という私のキャリア観の紹介になります。

■ キャリアアップとは「“働く”ことへの自由を得ること」

“キャリアアップとは何か” と聞かれたら、「専門性、収入、職位の全て、もしくはいずれかを高めて、“働く”ことへの自由を得ること」と、私は答える。専門性、収入、職位を高めることそのものは目的ではなく、仕事の内容、労働時間、働く環境などをより自由に選択できるようになることが大事だと私は考える。

■ キャリアアップのために「キャリアの踊り場」を作る

私は新卒の頃から外資系企業に勤めていたので*1、キャリアアップを志向する人が周りにたくさんいた。また、100名以上の中途採用の面接をしてきたなかで、キャリアアップを志向するいろんなタイプの人と会う機会に恵まれた。

自らもキャリアアップをしつつ、また、多くのそういった人と触れる過程で、最近強く思うことが一つある。それは、今の自分の延長線より、もう1~2段上にキャリアを押し上げていくためには、キャリアダウンを思い切って受け入れることがとても大事、ということだ。私はそういう行為を「キャリアの踊り場を作る」と呼んでいる。(続きはこちらから)

 

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